黒川さんとの思い出

2018年02月04日 | 日記




思えば幼い頃から、

ローリーVS大人という宿命を課せられたような気がします。

大人というのは、

いつだって僕の前に立ちはだかる、大きな壁のような存在だった。

やる事なす事否定的で、お前は間違ってるのイッテンバリ!

それがザ・オトナだった。

けどそういう大人の中にもね、

理解しようとしてくれた大人が、少なからずいた。

黒川さんもそういう大人のひとりでした。

いつもニコニコして「へ〜」って興味津々で僕の話を聞いてくれた。

黒川さんは京都出身で、

世代的には佐渡山豊さんや知念良吉さんと同じ世代、

いわゆるビートルズエイジね。

最初に会ったのはのは黒川さんが20歳ぐらいの頃かな?

とある事務所の隅っこにボーっと座ってたんよ。

初めて見るその風貌は子供ながらに

「あ、ヒッピーのお兄ちゃんだ」という感じで(笑)

やっぱ時代でしょうか?少し近づき難い雰囲気もおりましたね。

黒川さんは京都から家出でもして来たのかな?

黒川さんもきっとディラン憧れてホーボーの旅に出たんだな。

いやいや時代ですね。



でもやっぱりいつも事務所にいるわけで、

いつの間に仲良くなったんだな。

それから一緒に遊んでくれたし、お喋りしたりね。

記憶があやふやであれですが、当時漫画家志望だった僕を(ホントだよ)

友達のプロの漫画家の家に連れていってくれたんだ。

記憶が正しければ浦添の牧港にその家はあった。

牧港のA&Wの通りを上って行ったとこ。

なんせ小学校だからね、記憶に自信ないけど。

で、その家に行くと、

初めて見るプロの漫画家の道具を絵を見て感動しちゃってね。

うわぁ〜「まんが道」で見た

藤子不二雄先生の使ってる道具と一緒だ!

つーてすげぇー興奮した小学生の僕。

またその頃、

なんと黒川さんがレコードデビューしたんだ。

シャイな黒川さんもさすがに自慢気でしたね。

そのオキナワでのデビューシングルがこの

「おいらのあの娘はコザ育ち」。TOPの写真のやつね。

僕は初めて聴かされた時からこの歌が好きで、

「黒川さん凄いな〜凄いな〜」つーて、

身近なお兄ちゃんのデビューに、僕も周りの友達に鼻高々でした。

それから黒川さんは新生活の為、

那覇に引っ越しするわけだけど、

それでも那覇に用事があった時は黒川さんの店によく寄った。

その店というのが、

なんとも素晴らしいレコード屋さんでね、那覇高校の向かえ辺りにあった。

後々コロンビアレコードからデビューする、

ハートビーツの物語はこの店からから始まったらしいんだけど、

そんなワクワクで夢心地な空間だったのは今でもとても覚えてる。

「このアルバム最高だよー聴いてみな」とか、

「はっぴーえんどって知ってる?」とかね、

僕の音楽欲を掻き立てるような話をたくさんしてくれたんだ。

でも、そんな黒川さんから薦められたレコードは大切にして持ってる。

それからハートビーツが盛り上がって、一緒に東京行ったのかな?

会えなくはなったけど、

今「原宿でライヴハウスみてるよ」とか、

その店に呼んだ元ローリング・ストーンズの

「ミック・テイラーのギター凄いかった!

本物って感じだよー」つーて嬉しそうに話してたな♪


不思議と音楽の現場での付き合いはなかったんだけど、

今でもふと思い出す人なんだ。

この歌黒川さん聴いたらどう思うかな?とかね。

で、最近自分のステージで黒川さんの

「おいらのあの娘はコザ育ち」をカバーしてる。

そういう"らしい"関係もいいかなってね。

と思ってたら、

なんと黒川さんが歌い出してるというニュースが飛び込んで来た。



はは、タイミング良過ぎだよ黒川さん!

これはもしかしたら、

いよいよ師弟ライブがあるかもしれませんね♪

黒川さん、僕はあの頃より少しはギター上手くなってますよ!

いつでも気軽に声掛けて下さいな。

恩返しのつもりで駆けつけますよ。

黒川さんが昔書いた「オキナワ・マイ・ラブ」という本がある。

沖縄の人じゃない視点から見たその沖縄が愛情いっぱいで、

「おいらのあの娘はコザ育ち」と共にマスターピース。

もう絶販だと思うので、興味のある方は中古本屋でお探しを!


在りし日の黒川さんと嘉手苅さん。。。

耳をお掃除中の嘉手苅さん、、、チェックする黒川さん。。

日常の一コマ。





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