ギターと人

2019年08月24日 | 日記

 

 

 

 

 

 

 

今更ながら思うのです。

ギターと人はよく似てるな。。と。

産まれたては、それはそれはみずみずしく、

成長する中で色々と変化し成長していく。。

そして何より、その個々に個性があるのですね。

以前はギターを弾いてると、

それこそ「もっと音が鳴らないかな?」とか思ったりしたこともあった。

けど、その材質なども関係してると思うのですが、

経年の変化はあれど、元々の楽器の音色というのがあるんだ。

ボサノバギターの神、ジョアン・ジルベルトの面白い話がある。

来日した際に、ぜひ我が社のギターを弾いてもらいたいと、

ある会社がギターを進呈したらしい。

しかしジョアンは、そのギター1度試し弾きした後、

二度と触れる事がなかったという。

そのお気に召さなかった理由をジョアンに聞くと、

よく鳴り過ぎると。。

そういう事もあるんだ、、とその時僕は思った。

そうだよな、楽器ってやたら鳴りまくれば良いって話でもないだろと。

GibsonやMartinなどの有名ブランドこそが名器であり、

鳴らない楽器などは問題外というのが、一般常識のような。

しかしジョアンを例に出すまでもなく、

音というのはあくまでも本人の好みの問題なのだ。

そこも人が異性に求めるものと似ている。

賑やかな人が好きな人もいれば、静かな人が好きな人もいるのだ。

 

最近ギターを見る度に、

昔なら何も感じなかった事が気になるようになってきた。

それはきっと、精神的にも肉体的にも、

自分とギターを重ねて見るようになったからだと思う。

最近僕のそばにはいつも、僕とタメ、同い年のギターがいる。

ホールの中のラベルには“自作品、一九六三年、中出六太郎“と記されてる。

こいつはオレなんだと思ったりして。。

ボディのあちこちがひび割れてたり、

クレヨンでの落書きがある(この落書きは幼少の僕ららしい。笑)

 

 

このギターは父が現役の頃1番よく弾いてたギターだったらしく、

当時とても高価なギターで、それこそ清水の舞台からってなものだったらしい。

問題は音だ、楽器なのだから。

当時はどういう音だったの?と聴いた事があるが、

よく覚えてないらしい。笑

しかし現在の音を聴く限り、抜けが悪く、高域が全然ない。

現役の頃はきっと高音もキラキラと抜けてたと思うのだけど。

ボディー内の痛みも結構あるので、一度ケースの中にしまって

倉庫の中に眠らせてたこともあるんだ。

でもさ、自分がそういう事されたらどう思うんだろう?

なんて考えたわけ。大袈裟に言うと。

そりゃーヤだろ!ってね。

楽器なんだから、そりゃー誰かに触ってもらえるのが嬉しいわけで。。

それから外に出してあげてよく弾いてるんだ。

僕はギターマニアでもないので、

基本自分が相手出来ないほどの、数の楽器は欲しくないのね。

やっぱり楽器は鳴らしてこそのものだから。

レコードもそうだし、人もそうかな?

facebookのような友達って、やっぱなんか違うしね。

で、その古いギターを弾くとね、声が聞こえちゃうわけ。

自分は良いも悪いもこういう音しか出ないんだよ。って。

だからね、それで良いと思うわけだ。

色んな音があっていいし、当たり前だし、

良く鳴るギターもあれば、鳴らないギターがあってもいいだろうってね。

ウクレレのクララもそうなんだ。

この子は1975年生まれなんだけど、高音は以前より出ない。

でもそれがきっと木がもってる自然のあり方だろうし、

クララ自身なんだな。と。

そういう感じ方が出来るようになるとね、

また愛くるしさが増すわけですよ、コレが♪

 

最後に僕のウクレレの父、oh-ta sanの名言を。

 

ウクレレとの接し方は女の子と一緒だね。

でもウクレレは急に怒ったりしないと。

女の子は触らなくても怒るし、触っても怒る、、、と。笑

うぅぅ。。さ・す・が、師匠。。

一生ついて行きます!

 

師匠の名演をば。。。

 

 


ルネ・シマール

2019年08月24日 | 日記

 

 

 




 

 

ルネ・シマールという少年シンガーいたのを覚えているだろうか?

世代の違いもあるだろうが、

僕らが小学高学年の頃にフィンガー5のアキラ、

オズモンズのダニー・オズモンドと同様、

日本で人気のあったカナダのシンガールネ。

当時は折からの外国人歌手ブームで、

台湾から欧陽菲菲やテレサテン、

香港からアグネスチャンが来日し、

そのカタコト日本語も相まってとても人気でした。

「ターバンを巻いた演歌歌手」、インドからやって来たチャダという、

かのジェロの先駆けのような人もいましたし、

ナオミの夢のヘドバとダビデとか、

ヒデとロザンナもそうだね♪

きっと知らないだけで、

デビューした外国人歌手は他にもたくさんいたはずだ。

でもそこは子供ながらにね、

なんの抵抗もなく受け入れた感じでしたね。

だって当時はオキナワの人だって似たようなものだったもん!笑

きっと奇妙なたどたどしい日本語喋ってんじゃないかな?

まだほとんどの人がウチナーグチ使ってた時代だし、

復帰したばっかでね、、本土就職も大変だった頃。

また当時近所には台湾や中国の子、

アルゼンチンやブラジルの子、インドの子もいたし、

コザはまるで万博みたいやったからね、

だからTVにそれこそターバンを巻いた演歌歌手が現れても、

それほど驚かなかったのだな。


さて、話をルネに戻します。

ルネは東京音楽祭で「ミドリ色の屋根」でグランプリと

フランク・シナトラ賞を受賞するんだけど、

その小さな身体が鳴り響かす凄い声量とハイトーンで

お茶の間は老若男女釘づけだった。

当時はウィーン少年少女合唱団とかも人気で、

ルネもイメージ的にはそういう類の歌唱法でしたね。

お大きな口を広げて声を遠くへ飛ばすような。。

逆にね、大人になってから、

ルネやダニー・オズモンド、

もちろんマイケル・ジャクソンもそうだけど、

そういう人達がいたからこそ、

フィンガー5アキラの素晴らしさを再確認出来たりしたね。


あこがれのヒ、、ヒデキサン!

 

百恵ちゃんとだって仲良し♪


さて、このルネの楽曲ですが、

その多くを手掛けてるのが日本ソフトロックの父、

(勝手に僕がそう呼んでるだけですが、、)

赤い鳥の「翼をください」や「美しい星」でお馴染みの

村井邦彦さん。

荒井由実やYMOを世に放った人でもあります。

いちいち偉大だっ。


 


ルネは何枚か日本でもアルバムも残してるのですが、

この「去年の夏」では村井さん繋がりで、

何曲か編曲を松任谷正隆、

演奏キャラメルママというセッションがあります。

当時のキャラメルママ特有のあの感じで、

COBALT HOURでよく聴こえる、

正隆さん手癖のピアノが聴こえたりして、なかなか興味深い。

またルネのライブ盤では音楽監督に深町純、

ドラムに村上秀一、コーラスに山下達郎、吉田美奈子

大貫妙子ってんだから、なんともゴージャスですな♪


ルネはカナダへ帰国後も歌手やタレント活動を続け、

現在でも国民的なスターのようです。

大人になったルネ。俳優さんみたいだね。

そりゃ人気だーね。

 


ではルネの歌を聴いて頂きましょう!

まずは冒頭で話した「ミドリ色の屋根」をベスト盤から。

 

René Simard - GOLDEN☆BEST limited [ルネ・シマール] (2012)


いやいや久し振りに聴きますが、やはりひどい。笑

これだけは小学の時初めて聴いた時と、印象変わんない。

いたいけなルネ少年がさ、カタコト日本語でさ、

家を出たパパを想い悲しみにくれるママに寄り添い、

「僕がそばにいる」ってさー

そりゃーお茶の間のお母様方はハンカチで目頭を押さえたことだろう。

でもこの辺の大人の演出にとても不信感持ったのよね、

子供ながらにさ。。

天下のALFAにしてはあざとい、、みたいな。

まっ、売るってそういうことかもしんないけど。

だからこの曲より、僕は断然「雨上がりのデイト」や

「僕の国へおいで」が好きでしたね。

やっぱどこでも僕は短調が苦手なんやね。😔

けど細野さんも短調苦手言ってたから、少し安心したね。

しかしこのルネのベスト盤完璧ですね!

気に入った方是非購入をお勧めします。

ライヴバージョンもあるんで最高だよー


近くでは全島エイサー始まってるよー

また。

 


Skydust

Koko