今更ながら思うのです。
ギターと人はよく似てるな。。と。
産まれたては、それはそれはみずみずしく、
成長する中で色々と変化し成長していく。。
そして何より、その個々に個性があるのですね。
以前はギターを弾いてると、
それこそ「もっと音が鳴らないかな?」とか思ったりしたこともあった。
けど、その材質なども関係してると思うのですが、
経年の変化はあれど、元々の楽器の音色というのがあるんだ。
ボサノバギターの神、ジョアン・ジルベルトの面白い話がある。
来日した際に、ぜひ我が社のギターを弾いてもらいたいと、
ある会社がギターを進呈したらしい。
しかしジョアンは、そのギター1度試し弾きした後、
二度と触れる事がなかったという。
そのお気に召さなかった理由をジョアンに聞くと、
よく鳴り過ぎると。。
そういう事もあるんだ、、とその時僕は思った。
そうだよな、楽器ってやたら鳴りまくれば良いって話でもないだろと。
GibsonやMartinなどの有名ブランドこそが名器であり、
鳴らない楽器などは問題外というのが、一般常識のような。
しかしジョアンを例に出すまでもなく、
音というのはあくまでも本人の好みの問題なのだ。
そこも人が異性に求めるものと似ている。
賑やかな人が好きな人もいれば、静かな人が好きな人もいるのだ。
最近ギターを見る度に、
昔なら何も感じなかった事が気になるようになってきた。
それはきっと、精神的にも肉体的にも、
自分とギターを重ねて見るようになったからだと思う。
最近僕のそばにはいつも、僕とタメ、同い年のギターがいる。
ホールの中のラベルには“自作品、一九六三年、中出六太郎“と記されてる。
こいつはオレなんだと思ったりして。。
ボディのあちこちがひび割れてたり、
クレヨンでの落書きがある(この落書きは幼少の僕ららしい。笑)
このギターは父が現役の頃1番よく弾いてたギターだったらしく、
当時とても高価なギターで、それこそ清水の舞台からってなものだったらしい。
問題は音だ、楽器なのだから。
当時はどういう音だったの?と聴いた事があるが、
よく覚えてないらしい。笑
しかし現在の音を聴く限り、抜けが悪く、高域が全然ない。
現役の頃はきっと高音もキラキラと抜けてたと思うのだけど。
ボディー内の痛みも結構あるので、一度ケースの中にしまって
倉庫の中に眠らせてたこともあるんだ。
でもさ、自分がそういう事されたらどう思うんだろう?
なんて考えたわけ。大袈裟に言うと。
そりゃーヤだろ!ってね。
楽器なんだから、そりゃー誰かに触ってもらえるのが嬉しいわけで。。
それから外に出してあげてよく弾いてるんだ。
僕はギターマニアでもないので、
基本自分が相手出来ないほどの、数の楽器は欲しくないのね。
やっぱり楽器は鳴らしてこそのものだから。
レコードもそうだし、人もそうかな?
facebookのような友達って、やっぱなんか違うしね。
で、その古いギターを弾くとね、声が聞こえちゃうわけ。
自分は良いも悪いもこういう音しか出ないんだよ。って。
だからね、それで良いと思うわけだ。
色んな音があっていいし、当たり前だし、
良く鳴るギターもあれば、鳴らないギターがあってもいいだろうってね。
ウクレレのクララもそうなんだ。
この子は1975年生まれなんだけど、高音は以前より出ない。
でもそれがきっと木がもってる自然のあり方だろうし、
クララ自身なんだな。と。
そういう感じ方が出来るようになるとね、
また愛くるしさが増すわけですよ、コレが♪
最後に僕のウクレレの父、oh-ta sanの名言を。
ウクレレとの接し方は女の子と一緒だね。
でもウクレレは急に怒ったりしないと。
女の子は触らなくても怒るし、触っても怒る、、、と。笑
うぅぅ。。さ・す・が、師匠。。
一生ついて行きます!
師匠の名演をば。。。