ルネ・シマール

2019年08月24日 | 日記

 

 

 




 

 

ルネ・シマールという少年シンガーいたのを覚えているだろうか?

世代の違いもあるだろうが、

僕らが小学高学年の頃にフィンガー5のアキラ、

オズモンズのダニー・オズモンドと同様、

日本で人気のあったカナダのシンガールネ。

当時は折からの外国人歌手ブームで、

台湾から欧陽菲菲やテレサテン、

香港からアグネスチャンが来日し、

そのカタコト日本語も相まってとても人気でした。

「ターバンを巻いた演歌歌手」、インドからやって来たチャダという、

かのジェロの先駆けのような人もいましたし、

ナオミの夢のヘドバとダビデとか、

ヒデとロザンナもそうだね♪

きっと知らないだけで、

デビューした外国人歌手は他にもたくさんいたはずだ。

でもそこは子供ながらにね、

なんの抵抗もなく受け入れた感じでしたね。

だって当時はオキナワの人だって似たようなものだったもん!笑

きっと奇妙なたどたどしい日本語喋ってんじゃないかな?

まだほとんどの人がウチナーグチ使ってた時代だし、

復帰したばっかでね、、本土就職も大変だった頃。

また当時近所には台湾や中国の子、

アルゼンチンやブラジルの子、インドの子もいたし、

コザはまるで万博みたいやったからね、

だからTVにそれこそターバンを巻いた演歌歌手が現れても、

それほど驚かなかったのだな。


さて、話をルネに戻します。

ルネは東京音楽祭で「ミドリ色の屋根」でグランプリと

フランク・シナトラ賞を受賞するんだけど、

その小さな身体が鳴り響かす凄い声量とハイトーンで

お茶の間は老若男女釘づけだった。

当時はウィーン少年少女合唱団とかも人気で、

ルネもイメージ的にはそういう類の歌唱法でしたね。

お大きな口を広げて声を遠くへ飛ばすような。。

逆にね、大人になってから、

ルネやダニー・オズモンド、

もちろんマイケル・ジャクソンもそうだけど、

そういう人達がいたからこそ、

フィンガー5アキラの素晴らしさを再確認出来たりしたね。


あこがれのヒ、、ヒデキサン!

 

百恵ちゃんとだって仲良し♪


さて、このルネの楽曲ですが、

その多くを手掛けてるのが日本ソフトロックの父、

(勝手に僕がそう呼んでるだけですが、、)

赤い鳥の「翼をください」や「美しい星」でお馴染みの

村井邦彦さん。

荒井由実やYMOを世に放った人でもあります。

いちいち偉大だっ。


 


ルネは何枚か日本でもアルバムも残してるのですが、

この「去年の夏」では村井さん繋がりで、

何曲か編曲を松任谷正隆、

演奏キャラメルママというセッションがあります。

当時のキャラメルママ特有のあの感じで、

COBALT HOURでよく聴こえる、

正隆さん手癖のピアノが聴こえたりして、なかなか興味深い。

またルネのライブ盤では音楽監督に深町純、

ドラムに村上秀一、コーラスに山下達郎、吉田美奈子

大貫妙子ってんだから、なんともゴージャスですな♪


ルネはカナダへ帰国後も歌手やタレント活動を続け、

現在でも国民的なスターのようです。

大人になったルネ。俳優さんみたいだね。

そりゃ人気だーね。

 


ではルネの歌を聴いて頂きましょう!

まずは冒頭で話した「ミドリ色の屋根」をベスト盤から。

 

René Simard - GOLDEN☆BEST limited [ルネ・シマール] (2012)


いやいや久し振りに聴きますが、やはりひどい。笑

これだけは小学の時初めて聴いた時と、印象変わんない。

いたいけなルネ少年がさ、カタコト日本語でさ、

家を出たパパを想い悲しみにくれるママに寄り添い、

「僕がそばにいる」ってさー

そりゃーお茶の間のお母様方はハンカチで目頭を押さえたことだろう。

でもこの辺の大人の演出にとても不信感持ったのよね、

子供ながらにさ。。

天下のALFAにしてはあざとい、、みたいな。

まっ、売るってそういうことかもしんないけど。

だからこの曲より、僕は断然「雨上がりのデイト」や

「僕の国へおいで」が好きでしたね。

やっぱどこでも僕は短調が苦手なんやね。😔

けど細野さんも短調苦手言ってたから、少し安心したね。

しかしこのルネのベスト盤完璧ですね!

気に入った方是非購入をお勧めします。

ライヴバージョンもあるんで最高だよー


近くでは全島エイサー始まってるよー

また。

 


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