うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

二枚舌

2007-07-21 | Weblog


嘘はいけないと道徳は教えるけれど、嘘が世の中を回すためには不可欠なようにも思えてならない。事実と事実という固い出来事をつないで動かす軟骨みたいなものか? えてして小説などは、小さな嘘が小さな亀裂を生み、やがてそこから取り返しのつかない破綻へと通じる。そういうことは現実にもあるか。
絶対に許されない嘘というものもある。犯罪直結というものもある。
それでもやはり、可愛い嘘とか、やさしい嘘とか、他愛のない嘘もある。嘘から真が生まれる事だってあるだろう。嘘がまるきし否定される世の中って、感情そのものを否定されるような息苦しさに支配されるような気がする。
嘘をひねり出すのは思考だから、嘘のような本当の話に驚き、本当のような嘘によろめき、まるきしでたらめな嘘に笑い転げる。
それでもやはり、嘘には根暗いイメージがついてまわる。
それは別に、犯罪にはならないことだけれども、その人の口から滑らかに語られたことの全てが虚仮不実なことだと知らされた衝撃が大きいからだ。
嘘というより、もう創作だ。誰だって、自分の不利益からは遠いポジションを保ちたいと思うだろう。だからって、そこまで作るか、話を!?
虚栄心を満たしたいのか、金をちょろまかしたいのか、責任を放棄したいのか。
いずれにしても、自分が引き受けたくないものを肩代わりしてくれる誰かが必要になる。そのために嘘をつく。

久しぶりに思い切りだまされた。
というより、頭から信じた話が嘘だった。
ものすごく気分が悪い。しかも、嘘の話を信じた挙句、罵声を浴びた。
この不快感をどうしてくれよう。
罵声を発した人は、私が信じた話を、とうの昔に嘘だと見限っていたのだ。
『それは嘘ですよ』と教えてくれる前に、嘘つきの仲間と断定された悔しさかもしれない。もしかしたらそれは、私の虚栄心なのかもしれない。
話せば分かると踏ん張って、誤解も解けたかと思いきや、相手が変わればまた罵声。もう、いいよ、事情は分かったから引き下がる。
縁も所縁も無い人と言い争うのはお互い疲れるものだ。

頭がウニる。
でもやっぱり、“嘘絶対否定派”にはなれないな。
そして思う。二枚舌は止めようよ。
本当に本当のことを語りたくなった時、嘘語りに使われた舌がへばりついて、何をどう話しても、嘘にしか聞こえなくなってしまうからさ。

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