うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

眠たい訳

2008-10-31 | Weblog
FUKASHIHOJO.COMが閉鎖となり、ブログに乗り換えていた北條不可思だが、ついに、独力再開への扉を開けた。
徹夜明けの仮眠からむっくり起き上がると、突然と、ドメイン契約の説明を始め、とにかくここまでやったんだと、パソコン前に連れて行かれる。
なんだかよく分かりかねるが、自由に広告が貼れる無料ブログには、【水子供養】とか貼られるんよ~と、有料契約をした意向を解説。
それは嫌だろう。浄土真宗ではそういうのはないもんね。
そして、いつ見れるんだろうか? ちゃんと見れるんだろうか? 出来てるはずなんだけど表示してくれない・・・・と、責め立てる。
そんな事言われても、私もまったく知識ゼロ。半ば強引に持たされた申込み内容の説明書きを見たって、単語の意味がわからない。
問い合わせ窓口はメールのみだが、何を問い合わせればいいのかもわからない。
2日間。口を開けばホームページが出てこない。
ようやく質問すべきことがわかってメールを送ると、すぐに返信が来て問題解決。
ついに出来ました。
FUKASHIHOJO.COM、復活!!

http://fukashihojo.com./

ウィ~シュッ!

2008-10-31 | Weblog
そうじゃないのだ。
さかのぼること夏の終わり。慈音さんが、「穴あき手袋が欲しい」とのたまわった。
冬が近づけば、ネット通販でも入手しやすいのではと高を括っていたら、彼の希望は【革】。そんなのあるの? ゴルファーとか使ってるような? え、それとも、DAIGO?
確かに、DAIGOの愛用しているのは、慈音さんの希望に近いらしい。でも、どうしてそれが欲しいかといえば、やっぱりウルトラだ。
ウルトラ隊員がつけているグローブが目標なのだ。
お父さんの時代のウルトラ隊員はフルだが、僕の時代は穴あき。
そういう要望に闇雲に答える父の姿があった。
ひたすらネット検索。そして見つけた穴あき手袋。
慈音さんの自由にならない手につけることは出来るのだろうか?
しかし、ものすごいリハビリになったかも。
かつて、5本指の手袋をまともにはめることが出来なかったけど、主体のあるイメージは自らの願望を実現させた。
そんなわけで、学校へのスクーリングに持参。かっこいいから自慢したいし。
それなのに、すれ違う人々が、一様に「ウィ~シュッ!」と声をかけてくれる。
すっかりお笑い好きの慈音さんで通っているから、今度もお笑いだと思った?
そのたびに「違う」と説明する羽目に。
ただ、養護学校のいいところは、先生方の情報の伝達がわりかし早くてスムーズなので、1回目はとんだがっかりだったけど、2回目は、悦に入ってる慈音さんを、あたたかく見守ってくれるのだった。

元気かな?

2008-10-30 | Weblog
血液型の話で必ず思い出すのは、「A型の神経質アタックを必ず打ち返すO型の無神経ブロック」というコメントだ。もう20数年目によく聞かされた。ちなみにO型は私を指している。
そういうセリフを繰り出す人のどこが神経質なんだか分からなかったが、きっとこのセリフを理解できないあたりが無神経なのだろうと、渋々了解するのだが、振り返って思うに、単に彼女は私が嫌いだったのだ、というシンプルな答えに帰決する。
日本ほど血液型の話が好きなお国柄も珍しいようで、外資系に働く日本語ペラペラのアメリカ人から、日本への赴任が決まった時、友人から受けたアドバイスのひとつが「血液型を調べておけ」だったという話を聞いた時は、ほんと、おかしかった。アメリカでは治療において血液型が大事なんだと説明してくれた。
私は、血液型による性格分類を深く信じていない。
もともと血液型によるものなのか、後付された共通認識としてあるべき姿に自らが刷り込んでいったものか。
かつて、人生で初めての献血をした先輩がひどく落ち込んで戻ってきた。
献血前検査で「O型」と言われ、「自分は今までA型だと信じていたし、自分の性格って典型的なA型だと思っていたのに。どうしよう、人生変わっちゃう~!」
この告白を聞いて以来、私は血液型による性格って、ものすごく跡付けされたものだと確信するようになった。なにしろ、星占いなどに関心も興味もない親の世代でさえ、血液型による性格分類には肯定的だった。
そういう人に育てられれば、そういう傾向は一層深まるだろう。
とくに日本のように、血液型と性格とがものすごく癒着しているとその傾向は自然な動向だ。
でも、確かにそれらしさって言うのも否定し切れないものがあって、元来だろうが、後付だろうが、血液型を告白しあう辺りからお付き合いを始めるって言うのは、安易かつ安全かも?
ただし、あまりに血液型の性格分類に詳しい場合、はっきり言って辟易する。そして、なにもそこまで断定しなくても、と思う。
冒頭のようなコメントも、A型の人がみんなするわけではない。ちなみに、私の夫と子供はA型だが、O型の私をそんな風に否定することはしない。一方で、私にはなくて彼らにはあるものも結構たくさんあって、それはそれで面白い。
少し前に、血液型のシリーズ本がヒットしたそうだが、一番売れたのはB型だって。B型は、自分大好き、自分のことをもっとよく知って、なんて素敵なんだろうって再確認したいから売れたんだって書評が面白かった。
そういえば、B型の友人は、「憎まれっ子世に憚る」とかいって笑っていたなぁ。
フォローはいつもさりげなく、心憎い気の回しようで、結構やんちゃな友の顔が、幾つか浮かぶ。
空気が冷えてきて、人恋しくなってくる。

秋、だよね?

2008-10-22 | Weblog
10月も後半戦。そろそろ免許更新の通知が届く頃だが。
空気もカランとして、虫の音ももう少し続きそう。
葉っぱも紅に色づきだして、ススキの穂が、「さよなら、またね」と揺れている。
それなのに、まだ半袖着てる。
日中は暑い。
冬ごもりへの気分を盛り上げたいのだが、いまひとつ。
眼前のゆで栗を見つめ、秋であることを実感しよう。

まるはだか

2008-10-15 | Weblog

経済はよく分からないが、、営業電話が多いジャンルに関して警戒心は深い。前は財テク、近頃は投資関係について私の警戒レベルはかなり高い。同じ内容でもちょっとづつ、微妙に言い回しが変わる営業電話。この前、電話機の営業がかかってきたけど、もう買い替えとか、交換とか言わず、更新と言っていたっけ。電話機をはじめ、電話回線、通信システムの営業も一定の周期でやってくるなぁ。アメリカ発の金融恐慌の影響で、ここのところ株やら、先物やら、何とかオーナー系の電話がめっきり減ってさわやかだったけど、G7やら、G20やら一連の首脳や財務大臣の会合が終わって公的資金の投入が決まって世界中で株価急騰している。こういうときは、ここぞとばかりに営業活動が活発になるので、またぞろ営業電話のラッシュが始まりそうで、また電話の音が嫌いになりそう。洗い物のの最中に慌てて取ったときの、慈音さんの全介護の食事中に取ったときの、「勘弁してよ~」という私の気持ちなんか分かるはずがないだろう。それなりに名前の通ってる大手の営業は引き下がり方もスマートだけど、一応あなたもお仕事でしょうから・・・というこちらの譲歩も踏みにじるテレフォントークには、ホント、引くわ。勝手に電話帳とかなんかの名簿か、もしくはまったくアットランダムに、近頃ではコンピュータ音声でのアンケートと称した怪しげな電話まで出回っているが、勝手にかけてきて逆切れするな! とムカッとムカムカする。ま、それはそれとして。今日のニュースで、リーマンのアジア部門の社員が正式に野村の社員になったと伝えていた。リーマン時代の年収が4000万円! 買収後の彼らの年収も同額だって!!!!人生をかけて育て上げた【虎の子】を捧げたって彼らの年収のほんの一部にしかならないじゃない!!!!!!! 銀行がつぶれてわずかな預金が消滅することなんか起きて欲しくないけど、ウォール街でデモってるひと達の意志にも共感を覚える。とにかく、金銭感覚のまったく違う人にお金を委ねちゃ駄目。丸裸になったって、毛布の一枚だってくれないんだから。


わかってないよね

2008-10-11 | Weblog
我が家にも来たぞ、「ねんきん特別便」。
なんで「ねんきん」ってひらがな表記なのだ?
たしかに、だれにでもわかりやすいね。
それにしても、返送用紙を書いて返信用封筒に入れるところで腰砕けに。
いまどき、返信用封筒と返信用紙というのはジャストサイズが当たり前だけど、わざわざなのか、経費削減しまくった結果なのか、変則三つ折の用紙を1回開いて返信用封筒に合わせて畳みなおさないと入らない。
封印シールがついてないのは、絶対に経費削減だろうけど、変則三つ折になんでしたのだろう? 高さが合わないので長さを合わせて入れようとしたら、幅も合ってない。
なんか、こういうところに社保庁の【いやみな感じ】がにじんでいるよなぁ~と思ってしまうのだった。

それって本当ですか?

2008-10-10 | Weblog
言葉は時と共に生まれ消え変化していくけれど、意志を持って使うべきではない言葉を自分で決めるということは、とても大切だと思う。
口から出す言葉を考えるより、出さない言葉を定めるほうが難しい。
その思考のなかに、自分の本心があって、そっちのほうにギョッとしたりしたりして。
だから、感情を破裂させるかたちでしか本心を語れないのは辛いことだと思う。
でも、それって本当のことなのか?って思っちゃうようなことがありました。
本当らしさでオブラートして、だいぶ脚色しているよねって。
ただ、ビックリが先行していたから私も冷静じゃなかった。
結果的には、そのおかげで「あんなことまで言わなきゃよかった」ということを言わずにすんだんだけど。
それに、やっぱり本当じゃなかったことも分かったし、本当に力になってくれる人の存在に気持ちも晴れやかになったし。
今日のサンマはひときわおいしくいただきました。

彼方の声に心かたむけて

2008-10-07 | Weblog
家族ではないけれども、自分の人生において欠くことの出来ない存在の損失は、想像以上にせつなく悲しい。
『無常』という厳しさに身を切られる。
家族ではなく葬送に臨み、ひどく個的な深い思慕に心がつぶれる。
それでも、それでも、いまでもあの言葉が、まなざしが、今の私を励ましてくれる。
だから、家族ではないけれども、家族でなかったからこそ、稀有な出会いに恵まれたことを有難く喜びたい。