うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

近況雑記

2008-11-27 | Weblog
9月から10月いっぱい、なんだかめちゃくちゃバタバタしていたせいで、慈音さんは、大ちゃんに誕生日プレゼントのリクエストをしそこねてしまった。過ぎてから言うのもなんなんで、自発的に買うことにした。
前から欲しがっていたデジタル表示の腕時計をゲット! ネットで自分で探したのだ。
G-SHOCKというブランドで、マニアはいくつも集めるらしいが、慈音さんはひとつでいいの。
先日、7名で会食する機会があって、自慢げにつけて(足首にゆるくつける。ボタン操作も足の指で)いったのだが、みんながみんが、『ジオンショック』と言ったらしい。帰宅後、唐突に、『僕のイニシャルはジェイ』と言い出すので、なんでかと思ったら、各人にあいさつ回りをした慈音さんに異口同音に言ったよう。
慈音さんが自分のイニシャルを勘違いしていると思われたのかと少々不満げだったが、ゴジラのGだから、一応いいことにしてあげようと納得したらしい。
30代~60代までの年代が揃ったが、親父ギャグに包括される世代はかなり広範にわたることがわかった。

めっきり寒くなった今日この頃。毎年12月にならないと染まらない我が家のもみじも、すでに半分ほど色づいてきて、早い冬の到来を伝えている。
早いといえば、11月早々に街はクリスマス商戦を始めていた。
先日、11月の恒例法要が勤まったのだが、クリスマス・ソングに煽られて、年越し準備を始めていないと青くなってしまった。
ハロウィンの仮装がテレビに流れることにも違和感を覚える昭和人としては、商店街のクリスマス・ソングは、12月に入ってからにして欲しい。
『慈音君ちはクリスマスはどうするの?』と、よく聞かれるけど、慈音さんは、プレゼントをもらえるってだけ。
でも、我が家には、『クリスマスケーキを食べる会』っていうイベントがあった。
近くのスーパーに入っているケーキ屋さんがクリスマスシーズンだけのケーキを売り出すので、集まれる人数に応じて3~4種類のホールケーキを頼んで食べるだけなんだけど、これが結構楽しい!
残念なことにケーキ屋さんがスーパーから撤退してしまい、今年の開催は難しそう。
街まで行けばいくらでもケーキ屋さんがあるけれど、選択肢がありすぎるのも困りもの。気張りすぎて、当日取りに行けなくなっても悲しいし。
カムバーーーック コトブキ! 我が家にとって、味も種類もジャストフィットだった。原当麻より、忠生のほうが売り上げがいいんだね。だけど、ここからは遠いよぉ~。

リアルな話

2008-11-16 | Weblog
慈音さんが秘密の話を語るとき、前置きとして『シー、静かに』というアクションを欠かさない。普通、人差し指をつぐんだ口の前に立てるのだが、彼は、足の親指を立て、相手の口の前に立てる。それで充分通じる。仲良しだから。
そんな時の話は、『言ってもいいかな』『ちょっと恥ずかしいけど』『笑われちゃうかな』『いたずらの計画だけど』といったほのぼのした感情を含んでいる。
しかし、もっとシビアなリアルな話の場合、内緒だよって意志を表明するだけでは心配らしく、相手の唇を、がま口の口をパチンと閉めるように、抓んでひねる。別に力は入ってないから痛くないけど、『他言無用』の意志を明確に感じる。
慈音さんにおいて、そういう時はあまりないけど、話の内容が爆弾発言というよりも、彼の中で言葉にするまでの長い時間の熟成が必要だっだ出来事への【本当の気持ち】の吐露であることが多い。この前聞いた話は、7年前の出来事における自分の本心だった。

語る人にとって、ポンポン言葉がこぼれる話は、たぶん、その人にとってほぼ解決済みの、または了解済みのことで、もちろん話すことそのものが、内側に溜まる感情のおりのようなものを流しだす効果を、話す人も聞く人も理解していれば、せめてもの気分転換になるだろう。
けれども、誰にとっても生きている現場は複雑だ。自分と自分ではない人との関係の中で、物事は複雑になり、ねじれていく。その過程の中で、自分の感情の変容を見失ってしまうことさえ起きる。なにが悲しんだか、なにが苦しいんだか、どうしたいんだか、自分の次の一歩を一体どこに出していいのか、どこへ出すべきなのか、果たして自分は出したいのか出したくないのか……。そういった、自分にしか決められないことを決める術を見失ってしまう。
そんな時に、本当に語りたい言葉を見つけることが、どれほど大切か、一度でも経験したことがある人ならば分かるだろう。
時としてお寺は、その言葉を見つける瞬間を共有する場所になる。

私は在家から嫁いだので、お寺を知らない者の目線で見たこと聞いたことを書けば、といった勧誘(?)をいただくことがある。
実際にお寺には、出版業界の片隅で働いていたままなら、私自身、『誰かにとって励まされたり、元気になったりする話だから』と、くどきたくなることがたくさんある。
でも言わない。
人は、なかなか外から窺い知れないものの中身を知りたがる好奇心や、興味本位の野次馬根性を滅却できないものだから、そういった当事者による告白本のニーズは高いのかもしれないが、逆に、人は、他人の欲望を満足させてあげる為に生きているわけではないだろう。第三者のために、人は悲しみを耐え忍んで生きているわけではないだろう。
最近、お寺側からのアプローチが大切だという話を聞くことが多いが、本当にそうだろうか。人が集まることは大事だが、イベントに集う人は、イベントに参加することが目的だよね、普通に考えれば。きっかけとしては有意義だけど、きっかけばかりに重点がおかれて、本来そこへ行こうとしている人たちの場所がなくなるのは本末転倒では?
たとえば、お寺はもっと人々の話を聞けと言われるけど、私は、『この人に話したい』という気持ちがなければ、意味がないと思う。
『言え』とか、『聞く』とか言われて話せるようなことばかりなら、誰だって苦労はしない。リアルな話は、パッケージされたシチュエーションの中でスラスラ話せるものではないのだ。言葉になるまでには時間も必要だし、他言は無用なのだ。
『ここでしか話せない』『ここでなら話せる』という意志に報いることができる【ここ】であるだろうか、ということを阿弥陀如来さまの御本願にたずねていくことのほかに、一体なにがお寺に求められているというのだろうか。浄土真宗のお寺であれば、ほかになにがあるというのだろう。

凪の時

2008-11-15 | Weblog
私は、凪を体験したことがない。瀬戸内の凪は、なかなか凄まじくヘヴィな気象状況のようで、瀬戸内育ちの人たちが凪を説明する時の言葉よりも、凪を想像することで浮かぶしかめっ面の眉間の皺の深さで、そのヘヴィ度を想像することがある。
広島でタクシーに乗って運転手さんに凪の話を振ると、『ウギャぁ』とも、『グギャぁ』ともとれるようなうめくような叫び声をあげる。お客さんのために快適な車内環境を維持するように努力しているんだから、そんな不快なものを持ち込まないでくれっていうような拒絶とか抵抗を、もしかしたら懇願さえも含んでいるような感じすらある。
凪。真夏の午後に風がピタッと止まる。それはまさに空気が太陽に照り付けられるままに固まったように止まってしまうのだそうだ。陽が傾き、夕方の海風が吹き始めるまで動かない。
今は晩秋。旧暦なら立派な冬だが、止まっている感じが凪のようだ。
吹く風を待つようにじっとしている人もいる、風を吹かせようと抗うように動く人もいる。
今は寒いから風のないほうが寒さが治まっていいような季節だ。キツイ風は神経痛を刺激するように身を抜けていくので、風の吹かないほうがいいように思う。
でも、世の中は不穏な気配を抱き込んで止まっているように思う。
世襲議員の4連発で、世の中すっかり凪ってる。
今となっては、有名総理の孫だし、義理の父も総理だし、歴代総理一覧に名前を載せることだけが目的だったバカヤロー的目論見が、強引なスートーリー展開と小出しの種明かしで連載長期化計画を軌道に乗せたってことだろうか。
私はマンガすごく好きだし、マンガ読んだことで乗り越えたこともある。通勤がなくなって一連の週刊漫画雑誌とも縁が切れ、もう本屋さんのマンガコーナーに行くこともなくなったけど。嫁に来る時、どうしても手放せなかった3作品を持ってきた。感情がささくれ立ってどうにもこうにも収拾がつかなくなると今でも引っ張りだして読み直すこともある。
慈音さんだってマンガ好き。彼はもっぱらテレビだけど、いろんなことを考えたり、学んだりしている。ことわざも覚えて、その意味を問うたりする。意味を自分で考えて、勘違いしてたり、当たったりしたりすることを楽しんでいる。
マンガ文化は素晴らしい。
でも、やっぱりフィクション。紙面の中で躍動するヒーローも、着ぐるみになればなんか拍子抜けするようなかわいらしさ。マンガ読まなきゃ世の中分からないなんて言わないほうがいいよ、絶対。恥ずかしいから。挙句に、実のない対応策を論考するコメンテーターの言葉さえも空虚に響く凪の時なんだな、今は。

胸いっぱいで

2008-11-05 | Weblog
極東の地でテレビ画面を眺めていたって、その大局に影響を及ぼすことなどまったくないのだが、予備選以来、ずっと見てきたアメリカ大統領選。

8年前、ブッシュが初当選したあとに相模原まで遊びに来てくれたニューヨーカーのルイ君が、『彼は自分の会社を3つもつぶしているのに出来るわけないよ』とこぼしていたのを思い出す。
4年前、戦争をやめて欲しいと思ったし、それはアメリカ人にとっても大きな争点になっていると思ったけど、選挙終盤に中絶と同性婚の可否が焦点になってしまったことが理解できなかった。アメリカに詳しい人に聞いたけど、よくわからなかった。
そして、戦争は終わらず、経済はズタズタ。
唯一のメリットは、みんなが考え始めたことかもしれない。
日本だって、国内よりも遠い外国からコンテナで運ばれるものの方が安いってことのおかしさを考えたし、喪失の憎しみが次々と火種を広げていくことを食い止めなければならないし、格差を問題視しながら利用してしまう構造を再構築しなくちゃいけないだろうし。
オバマは矛盾を感じている全ての人々のモヤモヤした感情を、明確な意思と行動にしようと呼びかけているように感じた。
海外メディアが行ったアンケートで23か国中22カ国がオバマ大統領の誕生を期待しているという結果が出たなんていうニュースを聞いた。もちろんアンケート対象はアメリカ以外の国。
でも、アメリカに生まれたり住んだりしているわけではない人間にとって、アメリカの複雑さは想像できない。それぞれの国がそれぞれの多様性を有しているのだから当然だけど。
だから、最初にマケイン8、オバマ3という数字をCNNで見たとき、ここまで来てこれか!?とパニくった。でも、始まったばっかりで、とってもアホな反応だった。
CNNで当確が出た時、いろんな映像や言葉が浮かんで、胸がいっぱいになった。
アメリカにおめでとう。生き抜くことをあきらめなかった全ての人々へ敬意を表したい。同じことはないけど、素晴らしいテキストだと思う。
これからすさまじく多忙な日々が続くだろうけど、近い将来、初めて広島・長崎を訪れる大統領になってほしい。
彼なら、「あやまちはくりかえしませぬから」と刻んだ真意を理解してくれるのではないだろうか。