うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

やっぱり一本!!

2012-07-30 | Weblog
ロンドンオリンピック、始まったね~。

恒例ではあるが、スポーツなので番狂わせが目白押し。
地球の裏側での出来事なので、さすがに付き合えて深夜まで。
朝起きると、いろんな結果が出ている。
ライブを追いかけるほどのスポーツファンではなく、
あーーー、ミーハーだわって実感する。

そんな私は、開会式の聖火点灯にいたく感激した。
ここはライブで見られたから余計かもしれないが、
今まで見聞してきた聖火台への点灯で、一番感動した。
点灯と同時に始まった花火も素晴らしいと思った。
なんか、大きな大会の花火って、大味過ぎない?って思うことが多かったけど、
なんか、凄まじく、ロンドンの本気度を打ち上げているようで、
事前の《大トリはポール・マッカートニー》っていう情報がガセネタならいいのにって、
往年のポールファンには失礼ながら、真剣に願ってしまうほど。

あの熱狂のあと、花火の撒き散らした煙幕が漂う中
歌い始めたサーも立派なんだろうけど、
やっぱり、大トリでなくても良かった。

オリンピックの面白さって、思いがけず、
そんな競技があるの?ってことを知ったり、
その競技に日本から参加してたのって知ることだけど、
今回は、今のところ、アーチェリー女子に驚いている。
メダルを取らなきゃ、マイナー競技にはほとんど全く日の目が当たらないけど、
そんなことはさて置いて、誠実に一生懸命練習に励んできた人たちの、
メディア慣れしていない笑顔がとても素敵でした。

あれこれ思うことはあるけれど、
いかにも素人の言いたい放題だからかなり自粛しようと思うけど、
今のところ、柔道の海老沼選手の3位決定戦に大拍手。
彼は金メダルがよかったのだろうけど、
そんなことより、
帯がすぐほどけちゃうズルズルした人とか、
道着を寝起きのガウンみたくヒャラヒャラさせる人とか、
猫パンチの応酬みたいな組合とか、
突っ込みどころ満載だけど、なんか柔道見ているっていう気分が高揚してこない。
人生の中で一度も柔道したことない人間が言うのも失礼ではあるが…。
そんななか、
海老沼選手の背負投は素晴らしかった。
スポーツ観戦が好きだった、5月の末に亡くなった父に、この一本を見せてあげたかったな。
彼の一本が決まった時、
「これぞ柔道だっ!」って得意げに言う父の声が聞こえてきた。

先入観

2012-07-14 | Weblog
足掛け3年ぐらいで明らかに痩せた私は、ついにご近所さんからも「痩せたわね~、大丈夫?」
と、言われることになった。
とはいえ、別に今更主婦モデルになれるほどのプロプーションを手に入れたなんていう状況には程遠く、
自覚なかったけど、とっても肉を身にまとっていたのねってことがわかったぐらい。
それに、日々結構食べている。相変わらず食いしん坊だし、ジャンクはやっぱり恋しくなる。

結論からすると、高血圧症とか高脂血症とか痛風とかの予防に挑戦するとダイエットになる。
あまり難しい手の込んだものを作る余裕はないので、
野菜をひたすら食べる。生よりも、茹で、煮、炒めが多く、
アクセントとしてこんにゃくや厚揚げ、牛乳ではなく豆乳、
という具合。
調味料はあまり使わずにいると、野菜の味で美味しい!
今では、どんな料理番組を見ても、
そんなに塩入れんの!? 砂糖入れるの!? 油引くの!? って思う。
少ししか使わないからミネラルたっぷりの高い塩を使っている友人の域には達していないが、
彼女は、ヒマラヤ岩塩を愛用している、
せっかくいろんな種類の野菜を炒めても調味料を使ったら、せっかくの野菜の味が台無しだよ~
っていう知人が増えてきた。
無農薬野菜を作っているご夫婦が、あまりたくさんでも困るでしょうからと、
その時その時の採れたてを勝手口に置いていってくれるのだが、
我が家では、そのご夫婦を、《野菜の妖精さん》と呼んでいる。

そんな日々を送るなか、ずいぶん前だけど、
ふと、野菜を茹でるのにどうして塩が要るのだろうかと沸騰する鍋を前に手が止まった。
当たり前のように、茹でるには塩を入れると母に教わったし、
料理番組でも、レシピの本でもネットでも、その常識は鉄板だ。
私はこんにゃくが好きで、あく抜きをするのに塩は欠かせない。
あく抜きこんにゃくは、ちょっとこんにゃくではないんだよね。
では、野菜の場合は?
塩を入れないと、赤くなるとか、苦くなるとか、溶けて消えるとか、
そんな問題が生じるのか?
値段を付けるわけでもなく、今日明日には食べてしまうのに、
なんだって塩にそこまでこだわるのか?
それで、思い切って塩を使わずに茹でてみたら、特段何の問題も起こらない。
なにより、そんな究極のメニューを作るような舌を持ち合わせてないんだから、
茹でるイコール塩って先入観なんだって思ってみると、
結構調理過程には先入観がたくさんあって、驚かされる。

先入観といえば、
大変ですね。大津の中学校。
私が通った中学は当時5クラスあって、
私はB組。E組が校舎のどんつきにあって廊下を挟んでトイレがあった。
卒業して何年も経ってから、
区内では敵なしの男子運動部のキャプテンを中心にしたグループが、
彼はE組で、同じクラスの男子をトイレで殴って大問題になったんだって話を聞いた。
なにそれ、全然知らなかった! 平和とばかり思っていた同じフロアでそんなことがあったなんて。
だから、今回のことも知っている人は知っているし、
知らない人は知らないという戸惑いが在校生の中にもあることだろう。
ましてやその親からすれば、寝耳に水の人も多くおられることだろう。
そして、きっと全国トップレベルの悪名となってしまった学校への不満や不信感に憤りや怒りを感じ、
在校生である我が子達の動揺をどう治めてあげられるかと、
心を痛めていることだろう。
カヤの外から言うのは簡単だから言ってしまうけど、
学校の中のことは先生に任せておけば良いというスタンスが間違っていたのだという
まず、すべての責任の発端は保護者にあったんだということを
緊急保護者会のスタート時点の立ち位置にすると、今後の展開はだいぶ変わると思う。
もちろん、そんなこと学校サイドは言わないし、
当時者の方々は、ご自身も被害者だと大なり小なり思っておられるだろうから、
部外者は引っ込んでいろと殴られそうだ。
だけど、学校の先生も人間だ。
稼ぎ、養い、生きている。
底なしの隠蔽体質だって、自分たちの立場を守ろうと結束してきたのだから、
積乱雲のように保護者に押し迫られても、
土砂降りの雨もいつかは上がるという開き直りを胸に秘めて、
拝聴と、立ち位置を変えない説明を繰り返していくだろう。
そういう体質ではなかったら、
いや、逆に、そういう体質だからこそ、
どんどん悪意を増すいじめの暴走に歯止めがかからなかったんだ。
組織の体質が、「自分たちを守ってくれる」「自分たちは責めを問われない」という
行為者の都合の良い解釈を肯定してしまったと思えてならない。
いじめを傍観するのもいじめだと、言われて久しいが、
それも、酷な指摘ではないかと思ったりする。
義務教育だから、義務として通い、それが権利の行使となる在校生と、
職業である、つまり収入を得る道として在籍している教員とでは、
同じ場所に通う者同士であっても、なんだか水と油じゃないか。
良い先生に出会い、一生の友と出会うこともある学校だが、
結局は、たまたま出会った人間同士のそれぞれの努力が、
良き先生や良き友として結実する。
先生だけの努力、在校生だけの努力、それでは間に合わないほど、
今の子供たちは大変な状況でサバイバルしているんだと、
なんだか胸が締め付けられる。
だから、日本中のメディアが駆けつけて、
まるで衆目監視されてしまっているような状況の解決にスケープゴートを捧げるのではなく、
それを知らないでいたことが、
事実の隠蔽に加担してしまったと認めたら、
閉塞感に穴があくのでは?
そのうえで、あなたたちには解決を望めない、
解明も望めないと、率直に言えるのでないだろうか?
なぜなら、こんなふうに事件として全国を騒がせることがなかったら、
多少のリップサービスを含んだとしても、
お世話になったお礼を交わして、卒業していけたのだから。
その近い未来へのビジョンが崩れたことに対して、
本当に辛いだろうと、同じ保護者として思う。
だからこそ、踏ん張って欲しい。
学校を、そこに通う子供たちの場所として取り返すためには、
この隠蔽を、自らの漠然とした信頼(頼りないけど、なんとかやってくれるんだろう、みたいな)が、
許してしまったと認め、
そのうえで、本当の責任者を壇上にあげ、本当の解決を目指して欲しい。
どうか、
知っていることを言わなかったこと、気づかずにいたこと、知らないでいたことを、
まだ中学生の子供たちの一生の傷にならないように守ってあげてください。