うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

グレーな感じ

2010-04-29 | Weblog
新年度が始まって、提出物や面談やら、なにかと予定が沸いてくる季節を迎えていることでしょうね。例年、気忙しいながらも春特有のドキドキ感が好きだけど、今年は細々したことがぶっ飛ぶほどの出来事があって、しかも計画ばかりが決定していて当事者にはこぼれてくる情報しか入ってこないから、苛立ちも不安も不完全燃焼状態。
これは、相模原市に来年度新設される養護学校(但し、仮称では相模原方面特別支援学校となっている)の昨年度に開催された説明会概要のプリントをもらって以来続いている。
養護学校に縁も所縁も無い人は聞いたこともないでしょうが、数年来、養護学校の大規模化が懸案事項になっている。
《数年来》と書いたのは、慈音さんが養護学校にお世話になり始めたころには聞かなかったけど、いつの間にか在籍児童生徒数が増えて、それが単に教員数を増やせばいいというような単純な解決では済まず、校舎増設があったり、分校が設置されたり、いろいろな策が講じられていたが、教室が足りないとか、学年によっては割り当てられた教室がとっても狭いとか、様々な不都合が増えている。うちでは登校にバスを使っていないけど、バス通学の希望を出しても座席が足りなくて乗れないとか、バス利用者の人数の増加に比例して乗車時間が延びて、例えば、バス乗り場まで15~20分かかって、バスに乗っている時間も1時間超とか、それはかなり大変なことのように思う。
そこで出て来たのが新設校。
歓迎したい。いいわけばかりの行政が、久しぶりに本当に必要なものを提供してくれるんだから、歓迎するよって、気分だったのよ。
昨年度の終わり頃に、その新設校の説明会の案内が来て、そこに括弧、訪問部はありません括弧閉じ、っていう一文があって、その時は、ま、新設校は最初から何もかも揃わないし、当日は予定もあるし、うちは直接関係ないようね、ぐらいの軽い気持ちでスルーしたものの、高等部入学式で説明会に出席した人の話を聞いて、なんか強引な印象を受けた。
座間養護の相模原在住の在校生は、全員新設校に移る。
座間養護のバス2台を新設校に移管する。
えっ?任意受検(養護学校はこっちの受検)している高等部も?
座間養護のバスは来年4月から相模原市をまったく走らない。
つまり、通学の足を文字通りもぎ取るわけ。
でも、実績ゼロで備品不足は想定内だとしても、それなりに現在のバリアフリーを反映している校舎なら、それなりもメリットもあるかもしれない。
だが、しかし、手元に届いた説明会資料の校舎平面図を見て、叫ばずに入られなかった。
こんな青写真を了承した張本人は誰だ~~~!

噂では、新設校には全部の養護学校が集約されるって聞いていたけど、コストパフォーマンス至上主義で設計された校舎には、恐ろしい仕掛けが隠れている。
視覚、聴覚、知的、肢体の小1から高3までの教室が一つの建物に全部入っている。
昇降口は視覚のみ単独で、あとはみんな一緒。
各人が自由に使える場所は、教室前の廊下だけ?
私は、座間養護に転校した頃を思い出す。
肢体級併設校は、障害のある人も無い人も共に育っていくみたいなことを謳うけど、実際には、余計なものはすぐに排除勧告が来る。慈音のウォーカーは同級生にとって危険だから普通級で交流する時には乗ってくるなと決められた。
いや、まぁ、肢体級を辞めたのはそればっかりが理由じゃないけど、こんなことが卒業まで続くのかということにうんざりしたのも事実。
ただ、確かに練習を始めたばかりのウォーカーや電動車いすなどは、本当に気をつけないと凶器になり得てしまう面はある。だからこそ、広い空間や、練習中の子供のついている先生だけでなく、その周辺にいる人みんなが見守り、応援し、心配ないから頑張って練習してね、っていう状況が不可欠になる。
座間養護は中学までは肢体のみなので、学校も予算削減と戦いつつも、先生方の創意工夫で味付けして、そんなことまで出来るのってことをあれこれ授業に盛り込んでいる。
でも、新設校では教室前の廊下だけ。小1から高3までの教室がビターーーッと並んだ廊下。見取り図ではそれしかない。
教員も、保護者も、自分の子供が被害者にならないように、そして加害者にならないように神経を張り詰めなければならない。
説明会の概要には、参加した方々が短い時間の中でも考えられるあれこれを想定して質問しているけど、答えは大体、配慮して安全を確保するってなもんよ。
見取り図には、描いていないけど、安全を確保する為には、この何もかも押し込めた建物の中に仕切りをつけて、それぞれが怪我したり、怪我させたりしないように隔離するしかないのではないか。
共有スペース、体育館とかプールとかは時間制。でしょ?
座間養護も、当然時間割で使っているけど、好奇心に駆られた子が紛れ込んでも、つまみ出す以外の対処がある。
説明する側は、実績や経験を誇るけど、初年度スタートからすべての教室を埋めるって言うのは乱暴すぎでは?
確か地域社会で支えるって謳ったのは行政サイドではなかったのか。
障害児・者とその家族が孤立しないように。それを、一つの建物に押し込めるってどういうこと?
なんかすごくダークじゃない? ダークが失礼でも、十分グレーって感じ。曖昧ってことじゃなくて、発想が汚れているって事で。