新作映画を映画館で見るということはしないので、テレビとかDVDで見るから、いつもすっごく遅れている。最近は、新作映画がDVDになるのが早いからAmazonで予約しておくとあまりタイムラグも感じない程度には遅れている感が気にならない。ただ、新しいから秀作って訳でもないので送料のほうが高くつく中古品を見ることが多いかもしれない。
名画座(今、名画座って存在しているのだろうか・・・?)のように、時期はずれの映画が流れている。
新作映画はあちこちで情報が溢れるので、食品売り場の試食品をつまむように情報がインプットされる。前宣伝にものすごい予算をつぎ込める映画は、公開前に強引に試食を口に押し込まれたように食傷気味に。頑張れば映画の1本や2本を見ることぐらい可能なんだろうけど、映画館に行ってみようという気分にならない理由はそこにある。
ここに感動しろ、ここを見逃すな、このセリフがサイコー!って、押し付けすぎだろっ!!
最近、話題作がDVD化されてもそういう情報が押し寄せがち。
私は慈音さんの影響でかなりアニメをみている大人だと思うけど、日本で公開されている劇場版アニメがジブリ作品しかないんじゃないかって誤解させるほどのプロモーションはやめたほうがいいのでは?
最優秀作品賞をアニメにあげちゃうような映像文化では、生身の身体で頑張っている役者さんたちがあんまりだ。あの衝撃以来、あの賞の正当性を微塵も見出せない。世界中から愛され、尊敬され、憧れをもたれているアニメは、そして漫画は、まだ総理大臣の人が言うようにある特定の地域に限定されて存在しているわけではなくて、もっと自由にいろんな人に愛されているからこそ、ページの開きが真逆というハンディさえも越えて世界に巣立っていけたのだと私は思う。だからこそ、世界の最高峰であるアニメ文化を持つ日本に、いまだアニメ長編部門が独立した賞として存在しないのは不思議だ。下に見ながらドル箱は別格なのか? 何よりも、自社制作には甘いってことか、やっぱり。
そういう力関係があからさまなところがおもしろくないところだよん!!
ハリウッドでは、マッハgogogoがスピードレーサーとしてリメイクされたけど、ひみつのあっこちゃんとか、おそ松君とか、赤塚漫画がハリウッドで映画化されたらどんなにおもしろいだろう。バカボンのパパだって、まるで、バカボンのパパを演じる為に俳優になったのではないかと思わせてくれる役者さんが、なんかたくさんいそうだし。
少女マンガにも素晴らしい題材が眠っている。是非発掘を!
名画座(今、名画座って存在しているのだろうか・・・?)のように、時期はずれの映画が流れている。
新作映画はあちこちで情報が溢れるので、食品売り場の試食品をつまむように情報がインプットされる。前宣伝にものすごい予算をつぎ込める映画は、公開前に強引に試食を口に押し込まれたように食傷気味に。頑張れば映画の1本や2本を見ることぐらい可能なんだろうけど、映画館に行ってみようという気分にならない理由はそこにある。
ここに感動しろ、ここを見逃すな、このセリフがサイコー!って、押し付けすぎだろっ!!
最近、話題作がDVD化されてもそういう情報が押し寄せがち。
私は慈音さんの影響でかなりアニメをみている大人だと思うけど、日本で公開されている劇場版アニメがジブリ作品しかないんじゃないかって誤解させるほどのプロモーションはやめたほうがいいのでは?
最優秀作品賞をアニメにあげちゃうような映像文化では、生身の身体で頑張っている役者さんたちがあんまりだ。あの衝撃以来、あの賞の正当性を微塵も見出せない。世界中から愛され、尊敬され、憧れをもたれているアニメは、そして漫画は、まだ総理大臣の人が言うようにある特定の地域に限定されて存在しているわけではなくて、もっと自由にいろんな人に愛されているからこそ、ページの開きが真逆というハンディさえも越えて世界に巣立っていけたのだと私は思う。だからこそ、世界の最高峰であるアニメ文化を持つ日本に、いまだアニメ長編部門が独立した賞として存在しないのは不思議だ。下に見ながらドル箱は別格なのか? 何よりも、自社制作には甘いってことか、やっぱり。
そういう力関係があからさまなところがおもしろくないところだよん!!
ハリウッドでは、マッハgogogoがスピードレーサーとしてリメイクされたけど、ひみつのあっこちゃんとか、おそ松君とか、赤塚漫画がハリウッドで映画化されたらどんなにおもしろいだろう。バカボンのパパだって、まるで、バカボンのパパを演じる為に俳優になったのではないかと思わせてくれる役者さんが、なんかたくさんいそうだし。
少女マンガにも素晴らしい題材が眠っている。是非発掘を!