うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

リバイバル

2009-07-25 | Weblog
新作映画を映画館で見るということはしないので、テレビとかDVDで見るから、いつもすっごく遅れている。最近は、新作映画がDVDになるのが早いからAmazonで予約しておくとあまりタイムラグも感じない程度には遅れている感が気にならない。ただ、新しいから秀作って訳でもないので送料のほうが高くつく中古品を見ることが多いかもしれない。
名画座(今、名画座って存在しているのだろうか・・・?)のように、時期はずれの映画が流れている。
新作映画はあちこちで情報が溢れるので、食品売り場の試食品をつまむように情報がインプットされる。前宣伝にものすごい予算をつぎ込める映画は、公開前に強引に試食を口に押し込まれたように食傷気味に。頑張れば映画の1本や2本を見ることぐらい可能なんだろうけど、映画館に行ってみようという気分にならない理由はそこにある。
ここに感動しろ、ここを見逃すな、このセリフがサイコー!って、押し付けすぎだろっ!!
最近、話題作がDVD化されてもそういう情報が押し寄せがち。
私は慈音さんの影響でかなりアニメをみている大人だと思うけど、日本で公開されている劇場版アニメがジブリ作品しかないんじゃないかって誤解させるほどのプロモーションはやめたほうがいいのでは? 
最優秀作品賞をアニメにあげちゃうような映像文化では、生身の身体で頑張っている役者さんたちがあんまりだ。あの衝撃以来、あの賞の正当性を微塵も見出せない。世界中から愛され、尊敬され、憧れをもたれているアニメは、そして漫画は、まだ総理大臣の人が言うようにある特定の地域に限定されて存在しているわけではなくて、もっと自由にいろんな人に愛されているからこそ、ページの開きが真逆というハンディさえも越えて世界に巣立っていけたのだと私は思う。だからこそ、世界の最高峰であるアニメ文化を持つ日本に、いまだアニメ長編部門が独立した賞として存在しないのは不思議だ。下に見ながらドル箱は別格なのか? 何よりも、自社制作には甘いってことか、やっぱり。
そういう力関係があからさまなところがおもしろくないところだよん!!

ハリウッドでは、マッハgogogoがスピードレーサーとしてリメイクされたけど、ひみつのあっこちゃんとか、おそ松君とか、赤塚漫画がハリウッドで映画化されたらどんなにおもしろいだろう。バカボンのパパだって、まるで、バカボンのパパを演じる為に俳優になったのではないかと思わせてくれる役者さんが、なんかたくさんいそうだし。
少女マンガにも素晴らしい題材が眠っている。是非発掘を!

守り歌

2009-07-21 | Weblog
慈音さんが『僕の守り歌』といった時は、『子守唄』の間違いじゃないかと思った。
慈音さんが5歳ぐらいの頃に言語療法士に言われたのだが、人間は実際に発語して間違えて、その間違いを指摘されて直される中で正しい単語や文法を身につけていくのだそうだ。だから、発語のない慈音さんが単語や文法を正しく理解することは難しい。その時は、テニヲハを理解していることをほめてくれたのだが、確かに、聞く見るだけしか学習法のない慈音さんは、時々文字盤の上で指の置き所を決めきれずに彷徨わせることがある。特に撥音がはいる単語は難しそうだし、ヒとシとサの発音に問題がある親なのだから、致し方がない。
でも、『守り歌』は違うだろう~、と思ったら、それは、文字通り『守り歌』なのだそうだ。心細い時に、心の中で歌うと勇気が出たり元気が出たりする歌。辛い時、怖い時、どきどきする心を支える歌。
慈音さんは、通園に通っていた頃からそういう曲があったらしいが、私は知らなかった。年令と共に『守り歌』は変わってきたけど、ずっとウルトラ関係の曲だった。残念ながら父親の曲ではない。
ここ数年は、『ウルトラマンコスモス』のエンディング曲。『Why~』で始まる歌詩だけど、特にサビの部分がお気に入り。書けないけど、素敵な詩だ。
あの時も、あの時も、あの時も・・・・、この曲を心の中で歌っていたんだね。
自分の力では解決しきれない困難に直面して、自らを痛めつけるしか発露のない時に、『守り歌』があればいいのに。
みんなの、ではなく自分の。そこが一番大切なこと。譲れないことといったほうが良いかもしれない。だって、自分でしか『守り歌』は決められないのだから。

不可思の発見

2009-07-21 | Weblog
中国地方は、その地形からも土砂災害が起こりやすいようだが、このたびの土石流はとてつもなく大規模で、頻発している。
特養ホームを襲った土砂が、広々としていた快適な円形の空間であっただろうところが占拠している。真新しく見える外観は、地域の人たちの悲願の結晶として落成したのだろうに、厳しい現実に呆然とするホーム職員の泥水を被った姿が痛々しい。
目を血走らせて選挙に突入した各党幹部が自説を展開する前にお見舞いの言葉を一言も言わないことに違和感を覚える。
でも、現実に直面している人にとって、テレビの前に居る人間も役に立たないという意味ではまったく同じ。ただ、更なる二次災害が生じないことを願うばかり。
私は、すぐ後にある山が崩れてくるなんて想像できない。北條不可思は子供時代に体験している。広島で。だからか、冷静。

ここ最近、夕方以降のCMがちょっとしたブーム。
季節モノだからなのか、ビール、保険とか旅行とか、ビール、医薬品とか、梅酒、ビールみたいな並びで、とにかく2本に1本がアルコールのCM。これでいいのか?
この法則を発見した北條不可思は、CMが始まると、次のCMを予想する。見事にアルコールが挿入されている。
各社いろんなアルコール商品を出しているからほんとに数が多い。
でも、CMがたくさん流れている商品て、逆に売れてない感じがする。
特にアルコールは、飲む人は飲むし、飲まない人は飲まない商品。こんなにたくさんCM流さなくても。
台所に居る時間帯なので、呼びつけられるとイラッとするけど、アルコールCMのオンパレードにはギョッとしてゾッとさせられる。