まだまだネット上を賑わしているであろう売れっ子歌姫の発言へのコメントはしないが、ワイドショーでのコメンテーターと括られるのであろう方々の擁護とも取れるコメントを聞いていて頭に浮かぶいくつかを…。
『別にぃ~』という発言から私が感じたのは、発言者の嫌気だった。でも今回、私はなんかすごく嫌な感じが、それもとても個人的に嫌な感じがしていた。不妊治療とかしているわけじゃないし、正義感とも違う、とても個的な不快感があって、ようやくそれが記憶とつながった。
発言者の無自覚な棘が、それを喚起したのかもしれない。
小学6年生の時、卒業も近づくと、サイン帳を回してお互いに何か書くということが流行った。うん、あれはクラス内の流行だったのだろう。誰が始めたというわけでもなく、気がつくと、市販されているサイン帳をみんなが回していた。といっても、それは女子だけだったと思うけど。
深い意味もなく、たぶん、そういうものだと思ったのだろう。私も同級生にサイン帳を書いてもらった。そして戻ってきたサイン帳の1ページに、一体どう受け取っていいかわからない一言がデカデカと書いてあった。しかも達筆。
そこには、『白痴美人の近藤さんへ』とあった。
今どきの小学6年生を持つ親御さんが、こんなのを見つけたらどう反応するんだろう? 意味もわからず子供のすることだからと、静かにページを閉じるのだろうか。それとも、校長室なり教育委員会に乗り込むのだろうか。
私は、親になって、こんな場面に出くわしたら冷静な行動を取れる自信がない。
ただ、昭和一桁生まれの私の親は、子供らが子供同士でやっていることに干渉することにほとんど興味がないので、『見せて』とも言わなかったし、私も、『見て』ということで何らかの形で親が介入することを望まなかった。
1ヶ月もせずに学区の関係でほとんどの同級生とは違う公立中学に入学することはわかっていたので、もちろんそれを書いた人とも違う学校だから、何も喋らずサイン帳を机の引き出しにしまった。
ビックリ仰天。12歳の私はたぶん、瞬間に感じたあれこれをそういう意識にパッケージした。
大人になりつつある過程のなかで、いくたびか個人的な検討会を持ってきたのだが、それは、手元に戻った帳面に与えられた衝撃が実に大きかったからだ。
卒業以来顔も合わせたこともないのに、ほとんどの同級生の名前を忘れ、記憶のほとんどが当時の呼び名を喚起させる程度なのに、私は彼女のフルネームと、小学6年生当時の彼女の顔を忘れられずにいる。
でも、なによりもあの1ページは、パンドラの箱だ。
つまり、彼女は、言葉の意味を判っていて書いたのか? なんとなく書いたのか?
どうして小学6年生の女の子が『白痴美人』というフレーズを知っていたのだろうか? 私は幾度か引き出しから取り出して見直したりもした。でも、間違いなくそう書いてある。
今ならわかる。私はとても怖かった。彼女一人が思っていることなのではなくて、私はクラスの中でそう語られていたのではないかという疑問が。それが事実だったらどうしよう。それを確認するなんて、とても出来なかった。だから、誰にも話せなかったのだ。
長いこと怯えていた。他人から『白痴美人』っていわれちゃう自分ってなんなんだって。あるかないかも知らないままに来たが、小学校は、卒業以来近づいていない。選挙の投票に行っただけだ。クラス会も同窓会も知らない。知りたくないのが本心だったと思う。
新しい環境で新しい友人が出来ても、なかなか話せない。人から受けた傷は、人によって癒されると言われるが、話したことでさらに深い傷になるかもしれない。それが怖くて、踏み込めない。そんなことが多くあったように思う。
そのせいなのか、私の女友達はタフな人が多い。人の痛みや悲しみを同じように感じて、けれども冷静に受け止めて慰めるというのは、理屈ではなく難しいことだから。彼女たちのおかげで、私は友情を知り、少し、タフになった。
『気にするな』と、人は言う。でも、それが出来たら、その悩みは最初っから存在しないということだ。『そんなことで悩むなんておかしい』という人もいる。それは、悩んでいる人の在り様を否定することのように思えてならない。
とにもかくにも、友人を得たおかげで“自分”を失わずに大人になれたことは幸福なことだ。
言葉は時代のなかでうごめく。悪意を表す言葉もくるくる変わる。
一つの言葉がまかり通ってた時代もあれば、社会的な問題となることもある。
それは、ただ発しないようにすればいいということではなくて、ひとつひとつの言葉が内包しているものをよく考えろ、というメッセージだ。誰からの? その言葉に痛めつけられてもそれを甘受しなければならなかった、そこに押しとどめられた人々からのメッセージだ。そこに思いを馳せずして、どうして『今』を生きているなんて言えるだろうか。
ところで、今もサイン帳は仕舞い込んだ引き出しにおかれている。
破くと別の人が書いてくれたことも処分してしまうことになるし、何よりも惨めだ。そんな理由でおいたままで、嫁に来る時も、何もかもと一緒くたにおいてきた。
『なにも持ってこなくていいけど、免許だけ取って』と言われたので、本当に当面必要な着替えぐらいしか持ってこなかった。それ以上のものを持っていなかったというのもあるけど。免許は、ものすごく時間がかかって、仮免期限注意なんていう判子まで押されてしまったし、無事に取得できたのは結婚後だった。
くちゃくちゃ書いてしまったけど、おいたままにしたのは、もうおしまいにしようということでもある。
何かの拍子にばったり出くわしても、小学6年生の時の話を蒸し返してその真意を問わない、と自分に対して明確にする為に。