うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

長い御無沙汰でした

2012-03-27 | Weblog
平成21年12月に北條の母が緩和ケアに転院して、独りゴチる気分にあまりならないまま、翌22年7月には北條不可思が右小脳梗塞で救急搬送、9月に北條の母の往生、昨23年8月には慈音さん呼吸停止で救急搬送とあいなって、もう現実の把握に追いつかないような日々が続きました。

現在は、北條不可思は元気です。
後遺症はありますが、外見上はわかりません。とても幸運といえると思います。
入院翌日にICUへ移動して1週間は24時間経過観察をすると決断してくださった担当ドクターに感謝しています。
脳内大出血、脳幹梗塞、小脳ヘルニア。3つの想定しうる起きてほしくないことが起きずに一般病棟に戻ってこられました。
退院1年目は、本人も必死すぎて自分の身体を実感できなままに過ぎてしまったみたいです。
クリスマス寒波が襲来して以来カレンダーがめくられても春の気配が到来しなかったこの冬は、大変厳しいものでした。
後遺症の実態がようやく把握できたのかもしれません。

慈音さんは、昨年10月3日に帰宅しました。
在宅医療ケアの日々をすごしています。
北條の母の時も、医療制度の複雑さに、なんかものすごくへこたれたけど、その比じゃなく打ちのめされました。
とはいえ、やっぱり世の中は甘くないけどうまくできていて、捨てる神あれば拾う神ではありませんが、《在宅オールスターズ》の力を借りて、そろそろ半年の在宅医療ケアの日々を乗りきれそうです。
いやもう、とても語れません。
その辺は、おいおいと。
今は長い回復期にいます。
戻るものもあれば、戻らないものもあるでしょう。でも、新しく見出されるものもあると確信しています。
肉体という器に、慈音さんがまだ宿っているという確信が、これまでの生活の中で培われたものを呼び覚ましてくれたように感じています。
でも、医療ケアに関してはまったくのビギナーでしたから、本当に右も左もわからずにパニックでしたが、《在宅オールスターズ》の面々が、そのパニックまでも受け止めてくれて、なんとかかんとか…やってきました。
障害者手帳1級Ⅰ種だった彼は、現在、社会的に『準超重症心身障害児』です。
そう認定されることのメリットもあります。
ぶち当たる壁もそれ相応にあります。
壁の厚さや、高さや、多さは、これからあれこれ体験することになるのだろうけど、今は、まだそういう壁に直接ぶち当たることはあまりないです。
あまりあたりたくないので、あえて近づかないでいられるなら近づかないままでおこうって思っているから。
見聞するだけでも暗澹たる気分になるし、うつうつしてしまうから。

とにもかくにも、元気です、
以前にもまして在宅時間が長くなったので、独りゴチが増大しています。
増大しすぎて溺れてしまいそうです。
そんな冗談を飛ばせるぐらいには元気です。

久しぶりに書き込んでいるので、なにかヘンかも?
なにがヘンかよくわからいけど、とりあえずはご容赦ください。