うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

いつまでも大人になれない・・・

2009-05-25 | Weblog
空腹でしかも眠い時、おせんべいをバリバリ食べると、バリバリする音でちょっと眠気が飛ぶ。これで目が覚めるかも、という邪な気持ちでバリバリし続けると、眠い上に気持ちが悪くなる。
こんなことしても、もう若気の至りって言えない!! バカだわ、私って。

待合室にて

2009-05-13 | Weblog
いつも小児専門病院へ行くことの多い私は、大人の病院に未だなじめない。たまに行くと余計なことばかり思い浮かんで(待ち時間がどんなに短くても0分てことないからさ~)、わざわざ状況一人ベヴィリーっていう悪循環。
大人の病院のドクターやナースに小児科の病棟で『得られる事』を期待してはいけない。それは分かるけど…。
でも、外科病棟に入院していた北條の父の点滴が液漏れしていて布団がぐしょぐしょ濡れているのに、『輸液が漏れているだけだから問題ない』と言ったドクターの言葉が忘れられない。
大人の病院に入院するって厳しいなぁ…こういうことに耐えなくちゃいけないの?ってものすごくショックだった。
慈音さんが入院していた時、点滴棒の下に小さな水溜りを発見してナースに様子を見てもらったときは、ふたりがかりでルートチェックをしてくれて、『忙しいのにごめんね』って言うと、『ぜんぜん』『どこかから漏れているけど、そんなことあっちゃいけないんだから教えてくれてありがとう』って。当日はルート交換の日で交換したナースはすでに日勤終了で帰宅済み。それでも、ドクターにもちゃんと伝言が入っていて、『漏れたのは輸液だけで、お薬はちゃんと入ったから安心してください』って。
それでも、病院は長居していると、当番ナースのキャラの違いとかが鮮明になって、結構きつかったり、気が休まったり、あれこれ上がったり下がったりする。
病院と近い位置に居るっていう事は、自分とか、家族とか、近しい人が何かはっきりした要因があっているって事だから、なによりも、その要因をよりよくするっていう第一義を忘れてはいけないと、今、強く強く思っている。
いいドクターってどんなドクターだろう。
たぶん、こちらが気づかないことでも、必要なことをきちんと話してくれることと、気になっていることが、憂慮なのか、治療対象とすべきことなのか明確にしてくれることではないだろうか。
ご高名で評判のドクターであっても、なんかどうしても駄目って場合、すごく揺れる。紹介状をもらって慈音さんがはじめて受診した病院は、専門病院内の小児科でその小児科部長と我が家との相性は最悪だった。
すごく迷ったけど、結局その一度きりの受診で辞めてしまった。でも、その時の診察券を何年も何年も廃棄できなかった。
『腕はいいんだと思うんだけど、疲れてくると機嫌悪くなっちゃう先生なんだよ。だからうちはパパに窓口が開く直後に診察券出してもらって、1番か2番で診察してもらうの』というお友達ママの話を聞いたとき、もう絶対うちとは合わないと合点がいった。一番に病院いくなんて絶対不可能。
まだ独身だった頃、有名医大病院の診察を受ける人に同行を頼まれ、6時起きで行ったけど、8時前にして満員の待合室には圧倒された。予約入れてもこの状況ってどういうことなんざんしょ? もう20年も前の事だけど。
実家の母親に言わせれば、医者は医者であるだけで威張ってる。病院が大きくなればなるほど医者の威張り度も増大の一途を辿ると信じているので、身体がどんな状況でも《近所の医者》にかかることを止められない。
お母さん、それはいくらなんでも偏向が過ぎまっせ。といくら言っても方向の変更は見受けられない。
戦争を知らず、安保闘争も知らない共通一次第1世代がもうそろそろ五十代に突入するんだっせ。キャリアの考え方が昭和一ケタとは違うんだってばぁ! でも、自分の身体を診て貰いたいドクターに出会えるって幸せなことよ。
診察を待ち、会計を待ち、薬を待ち、診る方も診てもらう方も大変だ。
やっぱり、要約出来るところは要約して、核心についての説明を惜しまず、認識の共有を確認することを怠らないドクターについていきたい。笑いの趣味が近いとサイコーだね。
診る方も診てもらう方も命がけって時がある。しょっちゅうはなくても、しょっちゅうあったら身が持たないし、でも、回避できない瞬間がある。だからこそ、その瞬間を過ごす場合に逡巡しないように平素の診察を大切にしないとね。

こういうことが思い浮かんでしまうのは、手ごたえがあったからかも。付き添いもたまには積極的にするべきだね。