うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

すっきり~

2008-06-15 | Weblog
顔は分かるけど名前が出てこない。咽元まで来ているんだけど・・・とジレジレして、何かヒントになりそうなものをあれこれ探してようやく名前が出てくる瞬間、脳の中に新鮮な空気が送り込まれたような清々しい気分になる。
それとは異なり、顔も分かるし、名前も分かる、それにしてもこの人誰かに似ているなぁ~、誰だっけ、という時、すぽんとその誰かが出てくると、なんと他愛のないことだと気も治まる。
だが、どうしても、その『すぽん』がやってこなくて、何年もの間、『すぽん』を待ち続けていることがある。頭の片隅では、きっと他愛のない結論なのだろうと思いながらも、どうしてもどうしても出てこない分だけ、なんとかして捻り出したくて、テレビにその人が映るたびに、、アー誰だっけということばかりが脳内を駆け巡り、もしかしたら、このたびばかりは他愛のない結論ではないかもしれないという妄想ばかりが膨らんでしまう。
そんなやたらとくだらない連想ゲームなのだが、数年来、元Jリーガーでサッカー解説者のN氏を見るたびに、出てこない答えを捜し求めてきた。
かつてどこかで会ったことのある人、それは、テレビとか雑誌とかで見たような気もするし、学校の同級生であったかもしれないし、仕事関係者だったかもしれない。近い過去にある既視観ではないが、脳裏から脱落していない記憶のなかのどこかにとどまっている誰かにこの人は似ている。売れっ子解説者のN氏を見かけるたびに、氏の語るサッカーとか社会問題とかの言葉なんかいよいよ聞こえてこなくなり、誰だっけ、誰だっけ、もうそればっかり。もしかして、私って忘れてはいけないような人を忘れてしまって、ものすごく不義理なことをしているんじゃないかって、真剣に不安になってくる。

でも、ついにわかった! 私の記憶によるところ、N氏は、『ガキデカ』の『こまわり君』にそっくり。彼が大人になって、もう一度みんなの前に戻ってきてくれたみたい。いやぁ~、久しぶり。あんなバカげたことばっかりしてたのに、すんごい立派になったじゃん!! ユーロ2008の解説まで任されて、ホントに大出世だね。
N氏には、甚だ失礼な話なのだが、この記憶の再生によって、私の中では、N氏は元Jリーガーという大きなくくりから出て、めちゃいけに抱腹絶倒を沸き起こしたT氏を凌ぐ存在になった。
この爽快なすっきりの気分と共に、私は元Jリーガーの誰よりも、氏の健闘を願う。たくさんテレビに出て、評論家やジャーナリストや大学教授なんかを吹っ飛ばしてしゃべり倒して欲しい。
ホントに他愛のない結論ではあったけど。


行く川の流れは絶えずして・・・

2008-06-12 | Weblog
40を過ぎると、身体が変わる。その変化を痛感するのは『痛(ツウ)』の変容によってだ。去年と同じ事をしたのに、この身を襲う初めての痛だ。(♪初めてのCHU~♪じゃない)。これが世に言う肋間神経痛か、坐骨神経痛か、もしや椎間板ヘルニアか!?と、なにかにつけて脅かされる。顔面が求める基礎化粧品はより効果効能に優れた精度を求め、鎮痛剤と胃腸薬を交互に飲む日々。だるさ百倍ともなれば思わずユンケルに手が伸びる・・・。冬でも布団を蹴り上げる慈音さんの若さに暖を取る夜を数え、こうやって更年期の渦にどっぷりと身を委ねて、オバサンという言葉の響きに抗う力をなくしていく。
『まだまだ若いわよ~』と激励してくださる方々の御歳は、60歳以上。励ましてくれる世代のほうが圧倒的に数が多い。
いや。別に名実共に年寄りだといっているのではないのだ。
自らオバサンと名乗ることへの抵抗感は皆無だが、オバアサンと言う気はない。
ただ、身体の変化に決めるべき覚悟を迫られるという経験が、40を越えたとたんにとても増えることにうんざりするのだ。
変化は、身体だけではない。
思いがけないことに同意したりしていて自分でも驚くことがある。それは、人間が丸くなったのか、思考が動力を低下させたのか不明だが。
ま、丸くなったってことにしておこう。もう一押しして、人間的に余裕が出来たとうぬぼれてみてもいいかもしれない。
音信不通はお互い様だが、友からの便りにも生活に生じた流動を垣間見て、ほのぼのと嬉しく思う。
友と、ふたりのお嬢さんたちに迎えられたにゃんこは幸せだね。(こういう場合、お父さんは事後承諾で『ウン』とか『へぇ』とか『よかったね』とか言うしかないんだよね)。でも、消防団入団には驚いた。あの彼女が・・・。歳月って、すごい力を持っているのだと再認識させられる。絶え間なく流れる時の流れに抗わないことが、美しい皺を刻む秘訣なのだと教えられた気分。

野蛮だわっ!

2008-06-05 | Weblog
思い起こせばすでに20年以上前。学生の時分に、女性は離婚後6ヶ月間は婚姻が出来ないという話を聞いて、「なんで?なんで?」と騒いでいたことがあった。
その時、物知りなお姉さんが、『建前は離婚後に生まれるかもしれない子供の身分を保障するため』みたいな説明をしてくれたように思う。『でも、DNA鑑定で父親なんてすぐ特定できるじゃん!』と、誰かが言って、つまりはさぁ~、みせしめなんだよねぇ~ってあたりでみんなで納得。
たとえ夫が暴力を振るおうが、生活費を入れなかろうが、酒に溺れようが、愛人を囲おうが、とにかくすべての原因は『女』であると。そんな『女』には、離婚させてやるがペナルティをつけてやらねば、三行半は勘弁してやるが、ハンコを付いたその日から無罪放免、自由に生きていいとはしない。
もちろん、離婚の原因が女性側にある事だってあるだろう。女房に逃げられて、借金の山に呆然とする事だってある。だけど、男性は翌日に婚姻が認められている。
その結果、戸籍のない子が生まれ、戸籍のないまま母になり、その子にも戸籍がない。
そんな状況を、戸籍制度を作り上げた日以来放置してきたんだ。
よそ様の国に経済援助や災害支援をするのも大事なんだろうけど、個人の存在を国家が否定するような野蛮な状況をこそ改善するのが先決じゃないのか。
なにかにつけて管轄違いでたらい回したり棚上げするのが得意な方が多いけど、それでは、『国民一人ひとりの幸せを保障する』気がないと告白しているようなものじゃないか。