うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

スパッとね

2009-09-27 | Weblog
定規を使ってカッターで紙を切るとき、いつも思い出す人がいる。
彼女はイラストレーターをしていて、一度仕上がりを待つついでにお手伝いしたことがあった。手伝うといっても、絵は“へのへのもへじ”しか書けない私は切るとか貼るかぐらいしか役に立たないんだけど、彼女は歓迎してくれた。
定規といえば竹の30cmが定番で、ペラペラのプラスチックの定規を筆箱に入れるのは便宜上のことだと信じていた私は、芸術学科の友人達が持つ頑丈でちょっと野太い印象の定規をカッコイイと思っていた。でも、仕事をするようになると逆に竹の定規なんかどこにもなくて、自分の家に竹の定規ばっかりがあるのは母親が洋裁をやっているからなんだと、すさまじく遅咲きで合点がいった。
家庭環境というのは恐ろしい。5人だか6人だったか兄弟の長女という友人は、『我が家では茶筒の事を“お茶ガンガン”と呼んでいて、それは正しい呼称だと信じていたけれど、初めて本当は茶筒という名だと知った時は心底恥ずかしかった』と照れくさそうに告白していた。彼女のお母さんもよく知っていたので、なんて可愛い感性を共有している家族なんだろうと感激した。でも、確かに世の中に出て信じていた常識がフォローの仕様もなく間違っていた時の身の置きようのなさっていったら。
話は戻るが、とにかく余り役に立たない助っ人を歓迎してくれたイラストレーターの友人は、これ切ってと定規とカッターと一緒に切り絵で作っている原画を渡してくれた。その定規は当然デザイナーさんが使うような野太いプラスチックの定規で、なんかものすごく仕事が出来る気分にしてくれて、張り切って切ろうとしたら、彼女の視線が私の手元を凝視していた。絶句していたかもしれない。
「え、なに?」みたいなことを私は言ったかもしれない。
彼女は、定規には線を引く側とカッターの刃を当てる側があることを当たり前の事として知っていて、私は知らなかった。
そんな私に、『常識よ』とも『知らないの』とも言わず、線を引くほうは数字が入っているほうで、そちら側でカッターを使って傷がつくと線を引く時に直線が引きにくくなるから使い分けることを教えてくれた。
なるほど、それで数字の入っているのと入っていないのと両面使いが出来るようにしてあるのか。納得、納得。
でも、納得しながらも、定規の二面使い分けなんて考えたこともないから無造作に使ってしまう。そのたびに彼女は、「あっ」とか「きゃっ」と小さく声を挙げ、そのたびに「あっ」とか「おっと」とか言いながら持ち替えていたような。彼女は最後まで怒りもせず、少々あきれ気味の気持ちを[オホホ笑い]に変えて、いまいち使い物にならない即席の助手を放り出しもせずに傍らにおいてせっせと仕上げをしていた。
相変わらず定規は無造作に使ってしまうのだが、刃を当てた先に数字が見えると、慌てて持ち替える。そしてあの時の彼女のあたたかく辛抱強い眼差しと笑い声が耳に蘇ってとても幸せな気分になる。

今ハ昔……

2009-09-26 | Weblog
まだしばらくは歯医者通いの続く日々。穴ぼこは半年ぐらいかけて自然に埋まるものなので、激しく傷つけなければ、まぁ、余り気にしないで過ごせばいい程度に復活して来た。
歯医者さんに感じる恐怖感は、間違いなく幼い頃の記憶によるものだ。
まず、あのでっかいマスク。世話になっていて言うのも悪いが、一度たりとも素顔を見たことがない。もともと口数が少ないのか、面倒なのか、話しても分からないと思っているのか、とにかくじっとして口を開けていろって。普通のマスクと違ってメガネの下スレスレまである大きさが、すごい威圧的。今となってはあの歯医者さんが地元商店街の何処にあったか思い出せないのだが、あのマスクばかりが強烈に刻まれている。材質も、昭和のマスクはガーゼを分厚くしたようなモコモコしたのを大人も子供つけていたけど、あれはなんかスポンジみたいな、ほかではお目にかかれない特別な代物だった。
時の経過と共に新規開院する歯科が増えて、歯科に行く恐怖とは別に、恐ろしいマスク顔を避けて転々としてた。
いろんな病院でいろんなドクターに会うと、診療ファッションも結構様々。歯科、耳鼻咽喉科、眼科は治療中はマスクして欲しい。でも、どこかで素顔を見せてもらわないと。
だけど、今回受診して一番驚いたというか戸惑ったというか、眼からうろこだったのは、治療中に『横を向いてください』と言われたこと。
イヤ、ものすごく理にかなっているのだけど、治療を受けるほうも楽だし。
患者の右サイドにいるのだから、真上を向いているより、治療する歯の位置によっては多少横を向いたほうが合理的な事だってあるだろう。
でも、初めて聞いた。
診察用の寝台椅子に寝ているんだから、直立不動ではないんだけど、『直立不動』以上に硬直して大口を開けて微動だせずに真上を向いていなければいけない歯医者さんでの不文律が崩れて、幼い日の歯医者さんでの断片的な記憶が、『気をつけェ~ 目を食いしばれ~』っていうケロロ的世界観でオチがついたように思えて、こみ上げる笑いを抑えるのに苦労した。

タイトルがつくほどのまとまりはなく

2009-09-21 | Weblog
暑さ寒さも彼岸まで、と昔から言うけど、今年は朝夕涼やかな風が吹くお彼岸を迎えた。
去年も、一昨年も、秋が来ないんじゃないか、なんでかんかん照りの中で彼岸花は満開なんだとイラッとしたりもした。
そして、気温ではなく、光の角度に反応して花芽が伸びてくるのかもと思えてきた。本当のところは知らないけど、人間は何でも数字で比較するのが好きだから、平年並みとか、10月下旬の気温とか、○年間を平均してとか、なにかとデータで説明する。それを聞いてワーワー言ってる個人的な問題なのかもしれないけど、気象予報士という資格が出来て、気象庁発表のデータを読み上げるだけではないことを立証する為に次々と繰り出される小道具的データがうっとおしくもある。CNNに出演している天気予報担当のキャスターに、【私が天気をつかさどっているのよ】って迫力の女性がいるのだけれど、そういうキャラクターの出現を待ち望んでいる。

自民党総裁選が始まって、【全員野球】を巡るちょっとした論戦がおもしろかった。この選挙においては、まったくの部外者だけど、グランドに出て試合を始めようとしているのに、味方の選手は欠員ばかりで9人揃わないのに、ベンチを見たら監督ばっかりがズラッと座って腕組みしているっていう光景が浮かんできてしまった。
それがまたリアルに思えてしまって。これじゃ、試合にならないでしょ~。
世間全般でどうかは分からないけど、私は、かつてないほど自民党の総裁選が気になっている。立候補した人、立候補させた人、投票する人が、このたびの選挙結果をどう理解しているかがすごくよく分かると思うから。

でも、そんな“よそんちの事情”をチラチラ覗き見ている場合ではないのだ。
だけど、切羽詰っているから、切羽詰っていないようなことをしたくなる。毎年の事だけれど、2学期は忙しい。夏に始まって終わる頃には冬になっている。それだけで充分気忙しくなってくる。日暮れが早くなってきて、そのうちには震えながらタンスの中を引っ掻き回さなきゃいけない朝もやってくる。今年は慈音さんの修学旅行もあるし、京都での献歌コンサートのご縁もある。
長く伸びる影が、力強く背中を押してくれればいいんだけど、そんなことはないから、地道にやるばかりなり。というか、迫る締め切りに追い越されたらダメって事はわかっているので……。日常生活にある締め切りって、ものすごく生活感のあることばっかり。それが妙に可笑しい。

悪口や皮肉は・・・

2009-09-17 | Weblog
新内閣が発足して、ワイドショーなどでは新鮮味が無いとか、面白味が無いとかのコメントも沸いているが、政権交代を望んだけれども、お笑いを望んだ訳ではないので、そういう類のコメントには少々棘を感じる。
オバマ大統領の登場で、アメリカには新体制のスタートから100日間のハネムーン期間があるということを知ったが、やっぱり3ヶ月ぐらいは、不明点には説明を求めつつも批判は控えるべきではないだろうか。
選挙前ぐらいから現在に至るまで、このコメンテーター(司会者や評論家も含めて)が実質崩壊していた政治状況を存命させていたんではないか?という疑いを持ってしまう。
封じ込められたものが日の下に出てくる時は、すっきりさわやかなものばかりでは無いと思う。それでも、その苦さや辛さを見定める覚悟を持ち得た人が霞ヶ関を闊歩して欲しいと思う。

穴ぼこ

2009-09-15 | Weblog
今日、親知らずを抜いた。
歯茎に穴ぼこが出来て、強制ダイエット状態。今から反動が怖い!!
歯って、靭帯で骨と繋がっているんだって。生まれてはじめて知りました。
ゴリゴリって音は靭帯が切れる音。漫画みたいに『ウギャ~~~! ポロッ』て行くのかと思っていたが、全然違った。
痛いのを我慢しなくていいっていうのは、ホント助かりましたが、想像以上に長い時間がかかって、(実際にはそんなに長くないのだけれど)、どうにもこうにも膠着状態に、お産が思い出されて歌いたくなった。
久しぶりに歯科受診をしたおかげで、あちこちに小さい(?)トラブルも見つかり、しばらくは通院するけど、ビッグイベントを終えて、断続的な穴ぼこからの出血に見舞われてはいるけど、すっかり気が大きくなっている。
ドクターの初見では、『原因と思われる』という穏やかな説明ではあったが、我が身と離れた親知らずには、以前の虫歯治療で出来たと思われる小さな穴が開いていて、このまま数年放置していたらどんな大爆発を起こしていたかとゾッとした。
今年の虫歯予防デーはとうに過ぎてしまったが、40代も後半に差し掛かると、憂慮の種は虫歯だけじゃないんだよね。
最近は、治療よりも検診に病院へ行こうという啓発活動が盛んではあるが、なんの兆候もないのに行くのはやっぱり抵抗がある。
『行き時』の見分け方が難しい、病院へ行く為の動機付けの判断基準とでもいうのか。日本のがん検診率は先進国中最低レベルだと検診案内のパンフレットに書いてあるけど、なんかやっぱりおかしいっていう実感がないと、予約したり病院行ったりってなかなか出来ない。
特に、予防注射や検診が基本強制だった小中学校時代を過ごした世代なので、なんか集団検診とかすごく嫌。それと、早期発見、早期治療とか言っている割に、受診してしばらくすると、健康保険費用明細みたいなのが市役所から送られてくるのも嫌な感じ。医療費控除の書類にもならず、医療費の請求書でもなく、ただ、保険料からこれだけ使いましたっていうハガキが来るのは、ほんとイヤ。気が弱っているときに見ると医者に行くな、保険掛け金だけ払っとけ、っていう痛烈な圧力に感じられる。
だから、本当に辛抱強く忍耐強い人ほど心配だ。
もし気になって半年とか経っているなら、是非受診してもらいたい。
穴ぼこからにじむ願いを込めて。



聴けます! 見られます!

2009-09-14 | Weblog

メカニックなことは相変わらず分からないけど、クリックすれば北條不可思の楽曲と5月に開催した『野聖物語』(東京・築地本願寺/ブディストホール)の一部映像に飛んでいけます。『お坊さんなのに音楽活動って何やっているんだろうねぇ~』という噂話に、すこしでもお応え出来ればうれしいです。

 

大悲の詩

 FUKASHI HOJO FILMES

 

 

FUKASHI HOJO SONGS


秋と歯科と大雨と

2009-09-13 | Weblog
今年の秋は着任がとても早い。一体いつまで夏が続くんだぁ~と、ヘロヘロになっていた去年までとは大違い。
新型インフルも花粉症みたいに誰が発症してもおかしくない状況になって、今年は真剣に予防接種を検討すべきではないかと思い立ったが、医療現場や、世の中の多くの人の『早く決めてくれ~』という願いとは裏腹に、厚労省は、ほんとにまだ何も決められていないことだけが分かった。
新型ワクチンの優先接種も、未だ決まらない。医療従事者は当然だが、医療的弱者で決まるかと思いきや、医療的弱者の介護者を優先すべきではという案が出てきてまた頓挫。輸入ワクチンの導入も量の問題から安全性の問題、さらには補償問題まで会議の議題の裾野は広がり、専門家の貴重な専門知識もなんだか無駄に消耗されているみたい。
毎年慈音さんだけはインフルエンザの予防接種を受けているが、保健所からして、いつ、どれくらいのワクチンが入るか分からない状態。季節風インフルエンザワクチンの量も例年より減少する可能性が強く、定期に受診している患者数にも足りないかもという話を聞くにつけ、『一般ピープルにはまわらない』という保健所らしからぬ発言も現実味を帯びてきた。
結局、マスクと加湿器と外出控えが最善の策か。
でも、10月には修学旅行があって、京都での外しがたいコンサートがある。
こうなると、うがい手洗いと共に、鼻や咽の粘膜にまで、ウイルスを拒絶したいという強固な意志を持たせなければならない。などと思い詰める今日この頃。

意を決して歯医者さんへ行こうと決める。
近所に開院した予約ナシでもOKの歯科へ行くことを決意。朝から雨だけど、怯まず出掛ける。どの道ゴミを出さなきゃいけないから、そのついでだと言い聞かせ、帰りにスーパーでお昼の惣菜を買うことを励みに。余り雨音はしていなかったけど、しっかり降ってる。でも、最近カラカラだったから雨歓迎、めげずに歩こう。でも、ものすごいガン降りになってきた。
そうなのよ。滅多に行かない歯科に行く初日って、どうしてかとにかく悪天候なの。
自宅張り付き生活の私にも、それなりに予定ってモノがあって、ここでいかないとまたずれ込むと思うからこそ意を決して決めた日に行くんだけど、そうするとすごい天気にあたる。春なのに真冬の嵐が来てクリーニングに出す寸前のコートを引っ張り出した時が一番ひどい天気だった。
悪天候は、やけくそな気分にすごく合う。
なにもかも真新しいクリニックは、今どきの歯科治療を望んでいる私を裏切らなかった。帰り道は傘をぶら下げて歩いた。買い物の荷物をぶつかってちょっと邪魔だけど、さして歩くよりいい気分。
来週から始まる治療を思えば余り笑えないけど……。こればっかりはしょうがない。

まだまだ暑かった8月の半ばには秋の虫達がリンリンコ奏で始めて、毎年のこととはいえ、湯船でその音色を聴きながら、気が早すぎないかと突っ込んだりしていたけど、夜毎の演奏が消えてしまったら、それは気温がまだそれほど低くなかったとしても秋が行き過ぎた印しだ。ちょっとボリュームが小さくなってきたような気がして、おセンチになる。
センチメンタルな気分は、長年問題を起こしてきた親知らずと決別することを決めたせいかもしれない。