うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

春だもの

2013-02-10 | Weblog
いつのまにやら2月も中盤戦に。
チョコの話題に紛れているニュース画像のインパクト強すぎてヘロヘロしてるばかりの日々。
マッチ棒の少女にぎょっとしたけど、笑うみのもんたが出川哲郎にそっくりで、
アメトーークとロンハーのおかげで、悶絶顔より笑顔の彼をちょくちょくお見かけしていることなのだとわかり、なんだかほのぼのした気分を味わう。
でも、CMとは縁遠い彼にもついに広告収入が!? と祝福しかけて、
やっぱり広告を作る方々は出演料が高くても手堅いほうを取捨選択されるのね、と、
意外性の無さにガッカリ。

懲罰とか、体罰とか、指導とか、単語を換えると意味が変わるかのように重ねられる言葉にかなり気分を害している。
勝ちか負けかの結果しかない勝負の世界で、勝つことにこだわるなら、
その競技が誕生から現在まで継承されてきた意味を否定していることだと思う。
絶対に勝ち負けをつけない事が公平なら、
サッカーと野球が戦えばいいんだよね。徒労に終わるから。
試合に負ける事が、顧問とか、コーチとか、監督とか、所属団体とかのメンツに関わることだから
負けた責任を選手に押しつけているだけのことでしょ?
試合が始まったら、相手の実力が数段上なら絶対に勝てないってやっている本人がわかる。
それを、試合結果で責めたからってどうなるもんでもないと思うけど。
でも、そういうこととは違う次元で、
キャプテンを、端から自分のサンドバッグにするために指名していたの?と疑ってしまう。
内申点と引き換えに?
なんとなく、部活動って、机を並べているだけの世界では得られない仲間と出会える可能性が高いのではないだろうか?
ハードな練習をこなす本格的部活動は、よりそういう特性が強まる様に部外者には思えるのだが、
最初から、サンドバッグとしてのキャプテン指名が伝統なのか。
現役高校生にとって発言を求めることは要求が過酷すぎるが、
社会人になった卒業生は発言しないといけないんじゃないかな?
外から見ていると、学校存続の危機にみえるよ。
ただの暴力容認学校と規定されてしまうことに、『違う!』と言いたいことがあるのではないの?
『〇〇中の先生は、バッシュだろ、△△中の先生はスリッパだろう、素手で叩く俺は優しいよなぁ』
と語った30年以上前の顧問(公立の中学校の体育の教諭よ。立場は)の言葉を思い出して、
しばらく悶々としていた。
愛の鞭とか、やめてほしいね。まったく。
そういう歪んだ認知を肯定した人が体育教師になって学校に戻って来るなんてゾッとする。

全柔連は、レスリングの成績が良い事にあおられ過ぎたんだと思う。
金メダルを取らせたいけど、女子が発言力を持つことはイヤッっていう男社会の歪みを感じて不快。
金メダル至上主義で焦ったんじゃなくて、信念や意志を持っている女子選手が嫌だったんじゃないのって疑っている。
だって、幹部の人相悪すぎるよぉ~。女が『はい』以外の言葉を発するのが嫌いな顔しているように見える~~。ホント、コワイッ!!

すでに年度末に向けてカウントダウンが始まったような気分。
慈音さんが退院してきた時から、同級生のお友達と一緒に卒業を迎えられたらいいなって願ってきたので、今は、もうとにかく卒業式への出席が最大の目標。
春爛漫まで、まだまだ乱高下の天気も続くので、大仰な気象予報を真に受けて、戦々恐々の日々が続きそう。
仕方ないよね、春だもの。