ブログの更新が進んでいません。
ネタはほどほどに用意しているのですが、文章にする時間がなくてつい放置してしまっています。
昨日は、訪問者が「3」という屈辱的な状況になっています。
いいわけはこのあたりで。
最近、自動車の自動運転から発展してAI(人工知能)の未来が色々と語られています。
弁理士が作成する「明細書」も、いずれAIに取って代わられるのではないか、特許事務所の仕事はなくなるのではないか、といった脅威論が多いようです。
ところで、AI。これって記憶が確かであれば、10~15年ほど前にもブームになっていませんでしたっけ。あらゆる電化製品にAIが組み込まれ、「ご飯がおいしく炊けますよ。」とか、「クーラーの温度が快適になりますよ。」とか。
確かにそれらの機器にAIが組み込まれ、ご飯がおいしくなったり、空調が快適になったりしたのでしょうが、いつの間にかそれが当たり前になって誰もAIのおかげとは思わなくなってきているのではないでしょうか。結局、慣れてしまうと、AIそのものを意識しなくなってしまうようです。
そうなると、今回のAIブームも、いつの間にか当たり前となって、AIを意識せずに私たちの生活に溶け込んでしまうだけではないのでしょうかね。
AIも人格だと考えると、「やけに合理的かつ的確な判断をする『AIさん』が入社して、仕事が捗るようになったよ。」といった感じで、ちょっと変わった人が傍にいるような感じになるんじゃないでしょうか。
もちろん、「AIさん」は仕事が的確かつ素早く、文句も言わず働いてくれるでしょうから、うかうかしていると仕事を奪われる人が出てくるのかもしれませんが、上手につきあえば、あたかも一個人のように接することができるかも。
そして、「AIさん」のおかげで手が空いた人は、新しい仕事を見つける、という新たな循環がはじまるのではないでしょうか。
ちょっとバラ色過ぎるのかもしれませんが、人と同等のスペックを持つ「AIさん」だったら、結局人と同じように付き合っていくだけのような気がします。
但し、「AIさん」が人を超えて、指導者的立場になったとき、世界は変わるかもしれませんね。
でも、今(に限らず過去も)の世界の指導者(AIではなく『人』ですね。)を見ていると「メンツ」、「ミエ」、「カネ」といった「欲望」に取り憑かれて争っているわけですから、もしかしたら「AIさん」の方が合理的で平和的に物事を解決していくのかもしれません。
もちろん、「AIさん」に「欲望」を植え付けるかどうかは、プログラムする「人」に委ねられているのですが。
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