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デカルト (野田 又夫)

2006-06-12 00:50:06 | 本と雑誌

Descartes  まだ「方法序説」を読んでいないので、その前にデカルトのことを勉強しておこうと思って読んだ本です。

 デカルト(Ren・Descartes 1596~1650)は、社会科の教科書にも必ず登場する最も有名な哲学者のひとりでしょう。近代哲学の父とよばれています。

 例の「われ思う、ゆえにわれあり(cogito ergo sum.:コギト・エルゴ・スム)」です。

(p100より引用) デカルトはすべての知識を疑ったあげく、疑っている自己の存在は疑えぬ、と知り、これを「われ考うゆえにわれあり」という第一の明らかな真理とみとめることができました。そしてこの「考える」はたらきは、知性の作用と意志の作用とをいずれも含んでいるのであります。

 彼は数学者としても有名で、解析幾何学の体系化・方程式論にも貢献しました。
 そして、この数学の合理主義的帰納法を哲学にも適用しようとしました。具体的には、「真理へいたる直接の道をもとめるに際し、代数学や幾何学の証明がもつ確実性と同じ確実性を獲得できないような対象に、われわれはかかわるべきではない」との姿勢を貫き、それゆえ彼は、どのようなものであれ、それが真であると信じられる根拠を確立するまでは、何物も真とはみなさないと決心したのです。
 この疑いからの思索が、唯一の確実な事実である「われ思う、ゆえにわれあり」に達するのです。

 この思索は、彼の哲学における基本スキームである「二元論」につながります。
 二元論とは「世界は2つのまったく異なったものから構成されている」という哲学の考え方です。古くはプラトンによる「イデアの世界と感覚の世界の二元論」が有名ですが、デカルトは、「精神と物体(身体)との二元論」を唱えました。
 すなわち、
 「神は2つの実体を創造した。ひとつは思惟実体つまり心であり、もうひとつは延長実体つまり物体である。両者は人間において、精神と身体として実在的に区別される(心身二元論)。」
という論です。

 この一般的な解釈に対し、著者(野田氏)は、以下のような解説を加えています。

(p179より引用) われわれが「方法序説」をたどって見て来たデカルトの考えは、単に、精神と物体とが全く相異なる二種の実在であることを主張する、という意味の二元論-これがふつうの思想史にデカルト説として出て来るものです-ではなく、もっと人間的状況に即してみとめられた二元論であります。すなわち、一方自己が世界を客観的に見据える科学的知性を行使するとともに、他方その自己はそういう世界の中で自由に意志的に決断する、という、知性的客観性と意志的主体性との二元論であります。

 ところで、「方法序説」はデカルトが41歳の時の著作です。

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