(p85より引用) 要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容が出来るのではないというわけになる。もう一歩進めていいますと、内容が変れば外形というものは自然の勢いで変って来なければならぬという理窟にもなる。
漱石にして至極当然のことを論じています。
このことから、当時の世相は、人々の実生活が変っているにもかかわらず、旧態の「形式」が強要されていた様が見て取れます。
この形式による中味の抑圧が当時の社会運動の弾劾に現れ、結果、その後の大正期の「憲政擁護・閥族打破」をかかげた護憲運動に繋がっていくのです。漱石の見通しのとおりです。
(p89より引用) そこで現今日本の社会状態というものはどうかと考えて見ると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴れて我々の内面生活というものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。・・・既に内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元の儘に据えて置いて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます