いつも聞いているpodcastの番組に著者の福岡伸一さんがゲスト出演していて、本書の内容を紹介されていたので気になっていました。
福岡さんの著作は、いままでも代表作「生物と無生物のあいだ」や「動的平衡」をはじめ何冊か読んでいます。
本書は、福岡さんがダーウィンの足跡をたどりガラパゴス諸島を訪問したときの紀行文です。
本書で紹介されているような“ガラパゴス諸島の生態系”が今日でも観察できるのは、ガラパゴス諸島が欧米列強の支配下に置かれなかったことが大きな要因でした。
(p107より引用) 1832年、エクアドルは、ガラパゴス諸島の領有権を主張し、これを国土として確保した。独立してまもない、まだ国内外に混乱が残っていたエクアドルが、欧米諸国がその触手を伸ばしてくるまえに、この機敏な行動をとったおかげで、ガラパゴスの生態系と自然環境が今日まで保全されたことは間違いない。現に、ビーグル号が到達したのは、ほんの数年とのことだ。自然調査や海図測量を表向きの目的としていたが、ビーグル号は立派な軍艦である。もし、彼らがガラパゴスに着いたとき、ガラパゴスがまだどの国にも属していない島であったなら、彼らはまずユニオンジャックの旗を海岸に立てたはずだ。
エクアドル政府がどういう意図で領有権を主張したのか、その理由は明確に伝わってはいませんが、ともかく「生物学」にとってはこの上ない幸いでした。
そして、それから190年ほど時が経って、福岡さんが出会ったのはガラパゴスの島々の自然とそこに生きる生物たち。
本書は、“ピュシス(本来の自然)”と遭遇した福岡さんの喜びがそのまま溢れ出したエッセイです。
読む前は、ガラパゴスの自然を材料にした福岡さんならではの「生物や生命に関する論考」が紹介されていることを予想していたのですが、そういった“ロゴス”的な話題はほとんど語られていません。せいぜい、「ガラパゴスに棲む生物の人を恐れない性質」の理由を考察したくだりぐらいです。
(p231より引用) 人間を恐れること(あるいは天敵を恐れること)は、ほんとうに本能=獲得形質ではない遺伝的性質だろうか。
人間を恐れるためには、人間を他の生物と識別し、その存在や接近を察知し、そこから隠れたり、逃避したり、場合によっては威嚇したりする行動に結びつく必要がある。ここには認識や判断や選択と実際の反応が臨機応変に必要となる。このような複雑な行動様式は、単一もしくは少数の特別な遺伝子の作用だけでは到底、説明できない。つまり「人間を恐れる遺伝子」といったものを想定することは無意味だし、その有無だけで、人を恐れるか、人を恐れないかを説明することも無意味である。第一、1億年以上前から存在していた鳥たちの遺伝子に、ごくごく最近、鳥たちを捕るようになった人間の恐怖がどのように埋め込まれるというのだろう。
人間を恐れないガラパゴスの生物たちの不思議な行動様式は、もう少し多面的な考察が必要だと思う。
ということで、ここでも原因解明の結論にまでは至っていません。
やはり、ガラパゴスで感じるべきは、根源的な“生命”そのものなのでしょう。
本書の最後に福岡さんはこう語っています。
(p238より引用) 新世界たるガラパゴスに出現したがら空きのニッチでは、生物が本来的にもっている別の側面がのびのびと姿を表すことができた。それがガラパゴスの生物たちが示す、ある種の余裕、遊びの源泉なのではないか。生命は本質的には自由なのだ。生命は自発的に利他的なのだ。生命体は、同じ起源を持つ他の生命体といつも何らかの相互作用を求めている。互いに益を及ぼしたがっているし、相補的な共存を目指している。
ガラパゴスから贈られたメッセージ、まさに “生命の啓示” のようですね。
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