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自力の勧め (哲学とその方法について(ショーペンハウエル))

2005-11-27 01:04:34 | 本と雑誌

 ショーペンハウエルは一貫して自らの頭で考えることを訴え続けています。

(p29より引用) 真理の発見にもっとも大きな妨げになるものは、事物から発してきてひとを誤謬へ誘いこむいつわりの仮象ではなく、また直接には知性の弱さでもない。そうではなくて、それは先入見、偏見であり、これが一種の似而非ア・プリオーリとなって真理を妨害する。

 ここで警鐘を鳴らしている「先入見・偏見」は、他からの影響によるものもあれば、自らの思考の過程や結果から生じるものもあります。いずれにしても、これらは一度自分の頭の中に入り込んでいるものなので、峻別して影響を受けないようにすることは厄介です。
 すなわち、すでに蓄積された過去の思考の結果は、それが、良性の経験値か悪性の経験値かの区別が付けにくく、いずれの経験も、その後の自らの思考の積み重ねに知らず知らずの間に紛れ込む虞があるからです。

 「先入見・偏見」を排除することは、本当に難しいものですが、やはり、その王道は、ともかく自ら独力で考えるということに帰着します。

(p29より引用) 『ファウスト』の中のゲーテの詩句
「汝が父祖より嗣ぎ来りし宝を、
はたらき取りて、その主となれ」(『ファウスト』第一部六八二行)
を、私は自分なりに次のように註解する。
 われわれの先人思想家たちがすでに見出していたことを、彼らに依らずに、またその事情を知るよりもさきに、自分自身の力でみずから発見することには、大きな価値と効用がある。なぜなら、われわれは自分で得た思想を、他人から習得した思想よりも、遥かに深く理解するものであり、そして後になってそれをあの先人たちのもとで見出すときには、期せずしてその真理性の有力な証拠を-広く認められている他人の権威によって-得るのである。

 独力で考えた結果は、それが仮にすでに先人が拓いた道であったにしても、その確信度において格別な質的な差が生じるのです。

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