あまり読まないジャンルの本ですが、沢木耕太郎氏の代表作の中でも評判がいいので手にとってみました。
若き日の著者が日本から香港・マカオを経てデリーに入り、そこから陸路ロンドンを目指す旅行体験記です。全行程は、文庫本では6冊のシリーズで描かれています。
まず1冊目は、「香港・マカオ」。
この最初の寄港地で、著者は、早くも大きなショックを受けます。それは、自らの「無意識の意識」に対する辱めでした。
香港島の屋台で、知り合った若者とソバを食べました。そして、金も払わずに去っていった若者に対して侮蔑の気持ちを抱いたとき・・・、
(p101より引用) ペンキ屋の彼がこういって立ち去ったらしいのだ。明日、荷役の仕事にありつけるから、この二人分はツケにしておいてくれ、頼む・・・。私は、失業している若者に昼食をおごってもらっていたのだ。自分が情けないほどみじめに思えてくる。情けないのはおごってもらったことではなく、一瞬でも彼を疑ってしまったことである。少なくとも、王侯の気分を持っているのは、何がしかのドルを持っている私ではなく、無一文のはずの彼だったことは確かだった。
2冊目では、タイからマレー半島を下りシンガポールに至ります。
マレーシアのペナンで、著者は、ヒモ生活をしている若者から日本企業批判の声を聞きました。
(p134より引用) 「日本企業はひどい。・・・日本企業は吸い上げることしか考えていない。・・・俺がそう言うと、日本人は決まってこう言うんだ。マレーシアは日本企業の進出がなかったら困るんだろ?・・・わかってないんだな。なのに、じゃない。だから、なのさ。確かに困る。だから頭にくるのさ」
彼の言っていることは正論だった。もちろん、日本の企業にもさまざまな言い分はあるだろう。だが、日本人にとっての「なのになぜ」がマレーシア人にとっては「だからこそ」になる、という彼の指摘には説得力があった。そのような微妙な感情的なズレが、時として思いがけない大爆発を引き起こすもとになるのだろう。
こういう言葉を交わしながら、訪れた各地で著者は現地での生活にのめり込んでいきます。
さて3冊目は、「インド・ネパール」。
ようやく著者はインドに入ります。ここでは、それまでの旅で最大の印象を与えた香港を凌ぐ経験をすることになりました。街で、宿で、駅で・・・、身の回りで起きていること全てが衝撃的でした。
(p64より引用) ふと、このインドでは解釈というものがまったく不用なのかもしれない、と思えてきた。ただひたすら見る。必要なことはそれだけなのかもしれない、と思えてきた。
そう思うほど、「見える」事実のインパクトが強烈だということでしょう。
香港からインドへ、旅を進めるごとに、沢木氏の物事を見る「無意識の前提」が揺るがされていきました。
(p68より引用) 香港には、光があり、影がある、と思っていた。光の世界がまばゆく輝けば輝くほど、その傍らにできる影も色濃く落ちる、と思っていた。しかし、香港で影と見えていたものも、カルカッタで数日過ごしたあとでは眩しいくらいに光り輝いて見えた。
香港での絶対的な経験が、カルカッタの数日で相対的なものに変貌したのです。
まさに、沢木氏がインドで受けた衝撃の強さが吐露されたフレーズです。
深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫) 価格:¥ 420(税込) 発売日:1994-03 |
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