ちょっと前に、同じ著者の「官僚の責任」という本を読んだばかりなのですが、たまたまよく行く図書館の新刊書の書棚で見かけたので手に取ってみました。
前著で著者の主張の骨子は理解していたので、正直なところ新たな気づきはなかったですね。とはいえ、いくつか私の気になったところを書き留めておきます。
まずは、前著でも指摘していた、民主党の政治主導のはき違えについてのコメント。
(p147より引用) 日本だけなんですよ。いちいち「政治家が行政を主導します」なんてことを主張しなくてはいけないのは。
ですから、政治主導自体は政策でもなんでもありません。やって当然のことです。重要なのは、政治主導によって、何をするか、ということです。
そして、「何をするか」という点でも民主党政権は迷走しました。たとえば「事業仕分け」。
(p154より引用) 政治家としてやるべきは、ムダを探すことではなく、優先順位をはっきりさせることです。
細かい無駄をどう削るかは官僚が考えればいい、にもかかわらず、民主党は、ここでも官僚と同じ土俵に下りて行ってしまいました。
こういった政権政党とは思えないような民主党の未熟さは、そもそもの議員の素養にも拠りますが、政党としての経験の乏しさにも原因があるというのが著者の見立てです。
(p161より引用) 野党時代が長かったがゆえに、「相手のアラを一つひとつ突くための勉強はしたが、より広い観点から体系立てて答えを見つける勉強はしてこなかった」
さて、本書を読み通してですが、強いて前著との差分を言えば、著者の「国家公務員制度改革」の具体的施策の説明が充実されたあたりでしょうか。
官僚の立場から言えば、確かに驚愕動地、極めて刺激的な改革策が列挙されていますね。
とはいえ、その中には、「成果主義」や「360度評価」等、民間企業においても、その実効が疑問視されているようなものも含まれています。もちろん、「具体的な成果」や「多面的な評価」を重視するという基本的な方向性自体を否定するものではありませんが、伏魔殿のような官僚組織に対して有効に機能するかは極めて疑問です。
むしろ、前著でも著者が指摘しているように、官僚組織の自浄機能に期待するのではなく、「国民が政治家の尻を叩いて公務員改革を行う」といった「外圧」が不可欠でしょう。ただ、保守的な組織は外からの攻撃が強まると内部結束を固めようとします。積極的・強制的な「省庁間人事交流」や「官民交流」等により役所内に多様な異分子を配置する、それにより「役人然としたメンタリティ」の意識変革を図るといった策も効果的だと思います。
官僚を国民のために働かせる法 (光文社新書) 価格:¥ 798(税込) 発売日:2011-11-17 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます