著者の和辻哲郎氏(1889~1960)は、大正~昭和期の哲学者です。
和辻氏といえば「古寺巡礼」で有名ですが、その和辻氏の「孔子論」ということで手にとって見ました。
ただ、内容は想像していたものとはちょっと違いました。
論語の教えの和辻氏流の解釈・解説が記されているのかと思ったのですが、メインは、フィロロギーという手法による「論語」の原典探究でした。
孔子に係る論述もありますが、それは、釈迦・ソクラテス・イエスとの比較の中でなされています。このあたりの論考は、非常に興味深いものがあります。
特に首肯できる論として、聖人の「理想化」というプロセスがありました。
(p31より引用) 人類の教師が人類の教師と成るのは、一つの大きい文化的運動である、・・・それは他の言葉で言えば、一つの高い文化が一人の教師の姿において結晶して来るということなのである。この結晶の過程のうちには・・・弟子たちの感激や孫弟子たちの尊崇や、さらにその後の時代の共鳴・理解・尊敬などが、限りなく加わっている。これらは教師の感化が真正であったからこそ時の訓練に堪えて増大して来たのであるが、しかしまた感化を受けた弟子たちが常にその教師の優れた点、感ずべき点に注意を集中し、そうしてそれらの点をより深く理解しようと努力したことにももとづくのである。これは通例「理想化」と呼ばれている過程である・・・
この過程により、弟子たちに受け継がれ時代を経るにつれ「教え」が磨かれ「人間像」が純化されるとの考えです。
(p32より引用) そうしてみれば人類の教師は、長期間にわたって、無数の人々の抱く理想によって作り上げられて来た「理想人」の姿にほかならぬとも言い得られよう。
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