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社会学の根本概念 (マックス・ヴェーバー)

2007-07-01 17:19:51 | 本と雑誌

Weber_2  ほとんど理解できないのですが、(懲りもせず)ときどきこの手の本を読んでみようという気になります。

 本書は、清水幾太郎氏の訳によるマックス・ヴェーバー(1864‐1920)の晩年の著作です。
 社会的行為や社会的関係といった社会学上の種々の諸概念の「定義」を明らかにした短い論文で、ヴェーバー社会学を理解するうえでの基本的な素養となるものです。

 記述は、このような感じで進んでいきます。

(p86より引用) 「権力」とは、或る社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではない。
 「支配」とは、或る内容の命令を下した場合、特定の人々の服従が得られる可能性を指す。
 「規律」とは、或る内容の命令を下した場合、習慣的態度によって、特定の多数者の敏速な自動的機械的な服従が得られる可能性を指す。

 このあたりは、「なるほど」と思うのですが、「政治団体」や「国家」についての定義は「、「そうかな?」という感じがします。

(p88より引用) 或る地域内における支配団体の存立とその秩序の効力とが、行政スタッフによる物理的強制の使用および威嚇によって永続的に保証されている限りにおいて、この支配団体は「政治団体」と呼ばれる。政治的強制団体の経営は、その行政スタッフが秩序の実施のための正当な物理的強制の独占を有効に要求する限りにおいて、「国家」と呼ばれる。

 「政治力」の源泉は「物理的な力」でしょうか?
 もちろんone of themだとは思いますが、それ以外の「力(≒何がしかの影響力)」に拠る「政治力」は存在します。(もちろん、このあたりヴェーバーは百も承知でしょうが)

 本書は、全体としてひとつのテーマに貫かれたものではありません。
 いくつもの概念の定義が列挙されているので、前後の論旨を追って内容を理解しようとしても、正直難しいものがありました。

 そうはいっても、私としてある程度納得感があったのは、「社会的行為を理解する方法」のくだりです。

(p11より引用) 類型構成的な科学的考察においては、行動の非合理的感情的な意味連関が行為に影響を及ぼす場合、すべてこういう意味連関は、先ず、行為の純粋目的合理的過程を観念的に構成した上で、それらの偏向として研究し叙述すると非常に明瞭になる。例えば、、株式恐慌を説明するのには、先ず、非合理的感情の影響のなかった場合に想像される行為の過程を明らかにし、次に、非合理的要素を攪乱要因として導入するのが便利である。・・・右のような場合、純粋目的合理的行為には明確な理解可能性と合理性に基づく明白性とがあるため、純粋目的合理的行為を観念的に構成することは、類型(「理想型」)として社会学に役立ち、感情や錯誤など、あらゆる非合理性の影響を蒙る現実の行為を、純粋合理的行動に期待される過程からの偏向として理解させるものである。

 ヴェーバーは、まず「純粋目的合理的過程」を概念的に規定して、それとの差分として「非合理的な要素」を位置づけると全体の連関が明確になると説いているようです。

 「まず基本形を固めて、そのうえで個別要因を位置づけて全体を理解する」という考え方でしょうか。

社会学の根本概念 社会学の根本概念
価格:¥ 420(税込)
発売日:1972-01

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