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代表的日本人(内村 鑑三)-二宮尊徳-

2006-01-17 00:12:21 | 本と雑誌

 内村鑑三が「農民聖者」として西欧社会に紹介したのが二宮尊徳でした。

 尊徳といえば、近代国家の中では「勤勉の象徴」として明治時代の修身教育に取り上げられたことで有名ですが、逆にその反動からか、最近ではその功績等について採り上げられることも少ないようです。私も、実はほとんど知りませんでした。(さすがに私の通った小学校にも薪を背負った尊徳像はありませんでしたし・・・)

 尊徳は多くの荒村の復興や藩財政の建て直しに絶大な功績を残したのですが、それは、尊徳自身の能力・努力に加え「藩主の大抜擢」があったゆえでもあります。
 封建時代において、一農民であった尊徳に荒廃地の再興という一大プロジェクトを任せることは簡単なことではありません。
 やり遂げた尊徳ももちろん立派ではありますが、尊徳を見出し、正当に評価し、身分の別なく抜擢した小田原藩主大久保忠真の「慧眼」と「決断」も素晴らしいものです。

 もう1点。
 一般的には、尊徳は「報徳思想」を唱えて農村復興運動を指導したといわれていますが、具体的なやり方は、姿勢としては「率先垂範」、手法としては「集中による成功事例の創生と水平展開」といえます。

(p108より引用) どんな規模の事業でも、尊徳が仕事にとりかかる方法は、まったく単純でした。尊徳はまず、その地方を代表する村-たいていもっとも貧しい村でしたが-そこに自分の全勢力を集中し、全力をつくして、その村を自分の方法に従わせます。これが、仕事のなかでは、常にもっとも難しい部分でした。その一村がまず救われると、そこを全地方の回心を起こす基地にいたしました。一種の伝道精神を農民改宗者のうちに起こして、自分たちが先生から助けられたように隣村を助けることを求めました。

 このあたりの説明ぶりは、キリスト者内村鑑三らしい理解にもとづく表現です。

(p108より引用) 「一村を救いうる方法は全国を救いうる。その原理は同じである」・・・「当面のひとつの仕事に全力をつくすがよい。それがいずれ、全国を救うのに役立ちうるからである」

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