以前、このBlogでも「わかる」ということについて話題にしました。
ゲーテの格言集にも、「わかる」「知る」「理解する」といった点についてのアフォリズムが結構見られます。そのうちのいくつかを紹介します。
(p63より引用) 感覚は欺かない。判断が欺くのだ。
(p130より引用) 人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。多く知るにつれ、次第に疑いが生じて来るものです。
特に後者の箴言は、まさに「わかる」と「わかったつもり」でのissueと全く同じです。「少ししか知らぬ場合」が「わかったつもり」の状態です。
(p170より引用) 経験したことは理解したと思いこんでいる人がたくさんいる。
(p176より引用) 人はみな、わかることだけ聞いている。
このあたりの警句は、「わかる」という状態が「自分の認識の範囲内」にとどまっていることを戒めています。この状態は、「従来から自分がもっているステレオタイプのスキーマに(単純に)あてはめ」てわかったつもりになっているに過ぎないのです。
さらに、単に知っているだけでは意味がないことを告げます。
(p179より引用) 博学はまだ判断ではない。
最後に、今までの論旨とは無関係ですが、この格言集の中で最も納得感があった警句をご紹介しましょう。
(p146より引用) 革命以前にはすべてが努力であった。革命後にはすべてが要求に変わった。
面白い本を多数読まれているようで、参考になります。
「ゲーテ格言集」は私も読みました。偉大なる教養人にして、実務家でもあったようです。
今後ともよろしくお願いいたします。
わざわざおいでいただき、ありがとうございます。
40代半ばも過ぎ、学生時代の不勉強さを少々反省しています。
情けないことに、社会科で「著者」と「タイトル」だけ見たような本を、今頃になって手にしています。
こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。