海舟のころの中国(清)は、アヘン戦争後欧米列強からの圧力が強まる中、日清戦争の敗北、義和団事変による混乱を経て実質的に列強の植民地と化しつつある時代でした。
日本はといえば、明治維新後、欧州列強に伍してゆくべく富国強兵を推進、国会開設・大日本帝国憲法の制定等近代化への歩みを速めていました。
特に、当時大国であった中国(清)との戦いの勝利は、広く国民に列強と肩を並べたとの自信を抱かせ、国全体が高揚した空気に包まれていたものと思われます。
そういう時代に、海舟は、中国を「民力」という視点から、その市場としての位置づけと国家の本質を冷静に観ていたようです。
(p249より引用) 日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。
一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。(p258より引用) 世間では百戦百勝などと喜んで居れど、支那では何とも感じはしないのだ。・・・支那人は、天子が代らうが、戦争に負けうが、殆ど馬耳東風で、はあ天子が代わつたのか、はあ日本が勝つたのか、などいつて平気でゐる。風の吹いた程も感ぜぬ。
(p265より引用) 支那人は昔時から民族として発達したもので、政府といふものにはまるで重きを置かない人種だよ。これがすなはち堯舜の政治サ
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