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晩年に想う (2) (アインシュタイン)

2005-09-27 23:45:26 | 本と雑誌

(p302より引用) 現代は、人間の知的発展における進歩を、誇りとしています。・・・知性は、いうまでもなく強力な筋肉はもってはいますが、人格をもってはおりません。それは指導することはできず、奉仕することができるだけなのです。また知性は、指導者を選択するに当たって、けっしてより好みはしません。・・・知性は、鋭い鑑識眼をもってはいますが、目的や価値にかんしては盲目です。

 偉大な科学者は、自らの反省も込めているのでしょうか、自虐的です。「知性は人格をもっていない」ということは、知性には「良心がない」ということになってしまいます。果たしてそうでしょうか。知性(科学)の危うさです。

 知性は「人間」に宿るのですから、科学「者」には、科学の罪について、責任の一端はあるはずです。

 もちろん、強制や脅迫で自由意思が抑制されていたのであれば、残念ながら心神喪失・心神耗弱状態に等しいと言わざるを得ないのでしょう。

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2 コメント

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てんこさん (思案中)
2005-09-29 11:03:30
てんこさん
 コメント、ありがとうございます。
 アインシュタインの戦争や平和についての想いを辿ると、戦争阻止の具体的方法としての兵役拒否を唱えていた時代から、1933年、ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命したときを契機に、それまでの平和思想を突然くつがえしナチスへの武力による対抗を訴えたといいます。そして、1939年8月、彼は、ルーズベルト大統領宛の原爆の開発をうながす手紙に署名したのです。その後、ドイツ降伏が目前となった頃、原爆使用に反対する科学者たちの動きを受けて、再び、彼は今度は「原爆投下反対」の大統領宛手紙に署名したのでした。
 戦後、アインシュタインは、彼の平和への姿勢を問う手紙に対して次のように返信したといいます。「原爆が、人類にとって恐るべき結果をもたらすことを、私は知っていました。しかし、ドイツでも、原爆開発に 成功するかも知れないという可能性が、私にサインさせたのです。・・・(彼にとって戦争が許される条件は、)私に敵があって、その無条件の目的が、私と私の家族を殺すことである場合です。」
(上記の内容は、ハンドルネームKMさんのHPを参考にさせていただきました)
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論語風にいえば、子貢と孔子の違いみたいなもんで... (てんこ)
2005-09-28 15:49:41
論語風にいえば、子貢と孔子の違いみたいなもんでしょうか。知性は器であると。
知性と徳性は概念としては別のものですが、人格の中では無縁ではないというか、無縁であってはいけないものでしょうね。
しかし時代や状況がそれを妨げることもあるって、アインシュタインは言いたかったのかな。
知性が徳性を凌駕するとき、とてつもない悲劇が起こりうることもあります。けれどもそれならなぜそれが起こらないような仕組みがないのか。
バランスの崩れから、新しいものが生まれることもあるからかな。
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