この前読んだ「日本人へ リーダー篇」の姉妹編です。
本書でも塩野さんの歯切れのよい主張がふんだんに開陳されています。
ひとつひとつの意見に対しては、私としては首肯できないところも結構あるのですが、他方「なるほど」と感じるところも数多くありました。
たとえば、そのひとつ、代表作「ローマ人の物語」を書き終え、その行程を振り返ってみたときの塩野さんのことばです。
「ローマ人の物語」の著作一本に集中したことにより、塩野氏は、それに関連する情報のみをすべて自分の頭の中に泳がせることができたそうです。その結果、さまざまな情報が、想定外な関係性もたどりながら「ローマ人」という軸に自然にまとまっていったというのです。
(p68より引用) 考える時間を充分にもてたからこそ一見ローマと無関係な事象でさえもローマ史と比較検討することもでき、それによって史書や研究書から得ただけでは平面的でしかなかった知識も、実感を伴うことで立体的に変わるのだということを伝えたかったのである。
このあたり、もちろん私は類似体験をしたことはありませんが、さもありなんという感じはしますね。
また、こんなフレーズもありました。
(p231より引用) 文明とは歴史が証明しているように、異分子が加わることによって生ずる幾分かの拒絶反応を経験して初めて、飛躍的に発展するものなのである。
さて、本書は、「文藝春秋」の巻頭エッセイとして連載されたものを再録したものであるせいか、時事問題や政治に関する小文も数多く載せられています。
その中のひとつ「安倍首相擁護論」の中での塩野さんの言葉は、「政治」のひとつの側面を的確に突いたもので、ストレートになるほどと思わせるものでした。
(p78より引用) 政治とは、感性に訴えて獲得した票数、つまり権力を、理性に基づいて行使していくものだからである
もうひとつこの類の小文で、塩野さんらしさが発揮されているのが「夢の内閣・ローマ篇」と銘打たれた章です。ローマ帝国の皇帝の歴々を配した塩野的「夢の内閣」の紹介です。
「内務(総務)」「外務」に続いて「防衛省」と来るのも塩野さんらしく、その防衛省のトップに配されたのは「ハドリアヌス」でした。その選定理由のくだりです。
(p128より引用) 外務省ではなく外政省と改めるべきと思う外交だが、これを国益を守りながら進めるには防衛分野が健全に機能することが必要だ。・・・
それゆえ重要きわまりない防衛省のトップだが、最適任者はハドリアヌスだろう。彼こそが、戦争に訴えないで防衛責任も果すという、困難であっても国民にとって最もありがたい、安全保障制度を再構築した人だった。
最後に、私としては、どうしても受け入れられないという典型的な塩野さんの主張のくだりを書きとめておきます。
(p220より引用) 私には、日本がしたのは侵略戦争であったとか、いやあれは侵略戦争ではなかったとかいう論争は不毛と思う。はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまったのだった。
となれば、毎年めぐってくる八月十五日に考えることも、方向がはっきり見えてくるのではないか。第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、戦時中と戦後の日本と日本人を振り返って示す。・・・だがその後は、過去ではなく現在と未来に話を進める。そこで論じられるのはただ一つ。どうやれば日本は、二度と負け戦さをしないで済むか、である。
日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書) 価格:¥ 893(税込) 発売日:2010-06-17 |
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