(兵法家伝書(柳生 宗矩)p35より引用) 「懸とは、立ちあふやいなや、一念にかけてきびしく切つてかゝり、先の太刀をいれんとかゝるを懸と云ふ也。・・・待とは、卒尓にきつてかゝらずして、敵のしかくる先を待つを云ふ也。・・・懸待は、かゝると待つとの二也」
「敵をまず先とはたらかせて勝つ」、これは新陰流のあらゆる術・理の本源となる極意とのことですが、ここに「懸待」が登場します。相手に先をとらせるために身を「懸」とし、その後「待」としていた太刀を振るうのです。
「懸待」は、「身と太刀」、「心と身」、「陰と陽」「静と動」等々、多様な変化形がありますが、その肝は「これらふたつの同時性とバランス」です。「懸待を内外にかけてすべし」、すなわち、一方に偏るのではなく常に相反する二つを同時にバランスよく意識するということです。
新陰流の達人は、こういった絶妙のバランス感覚をもち、背反するものを極自然にかつ自在に操ることができたのでしょう。
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