著者の香山氏は、各種メディアへの露出の多い精神科医です。
新書版を中心に数多くの著作があるようですが、今までは1冊も読んだことはありませんでした。
本書は、たまたま図書館の「新着図書」の棚にあったので手にとってみたのです。
内容は、最近の日本の社会的な傾向を「劣化」というコンセプトで括りだし、その背景や問題点等を論じたものです。
「活字の劣化」「モラルの劣化」「若者の『生きる力』の劣化」等々・・・、いくつもの「劣化」が紹介されていますが、その中でも、著者は「寛容の劣化」に着目しています。
(p111より引用) 70年代、80年代に広がった社会的に弱い立場の人たち、少数者たちの自由や権利を認める考え方全体が、どんどん狭量化する社会では、受け入れがたいものとなっていったのだ。
言ってみれば、「寛容の劣化」といった現象が起きている。・・・劣化は個人のレベルや文化産業のレベルではなく、社会全体の動きとして、いわば地殻変動のように起きていると言わざるをえないことがわかる。
ただ、どうも著者の論拠や立論は、納得感が今一歩です。
(p124より引用) どうやら、社会の衰退、劣化は日本に限った現象ではなく、アメリカでも類似の事態が起きているようだ。
では、その本質的な原因は何なのだろう。
と問いかけ、著者としては、その原因を「新自由主義(≒小さい政府論)」に求めています。
ストレートに要約すると、「勝者と敗者」「強者と弱者」の二分化を助長する「新自由主義的政策」の推進が「寛容の劣化」の主原因だとの論のようです。
と言いながら、著者は、そういった「寛容の劣化」の防止のために以下のような対策を薦めています。
(p165より引用) 良心や道徳と直接かかわることでも、損得に基づいて話をし、得なほうを選ぶ契約をする、というやり方で解決できる問題もあるのだ。
私は、劣化の防止も短期的にはこれと同じような考え方で行うのが最も有効なのではないか、と考えている。つまり、「劣化は損だから」と割り切ってその対策を行うのだ。
本書の書きぶりから思うに、著者は、「勝ち負け」や「強弱」という二分化を助長する「新自由主義」には懐疑的な立場のようです。
そうでありながら、「損得」という単純な価値観をもって社会心理的な課題を短絡的に解決しようをする著者の姿勢には、どうも共感できませんでした。
なぜ日本人は劣化したか 価格:¥ 735(税込) 発売日:2007-04-19 |
日本の劣化は内容に有る通り地殻変動の様に進んでいます。その原因には色々な要素が含まれていますが根本は個々の国民が物事の本質を掘り下げて考え自分の意見として結論を出す事をしない事だと思います。やれば出来る事ですが、一時は有ったその習慣が消えつつある様に思えます。
但し、根本とは言ってもこれは結果、現象なので更にそれを掘り下げると官僚主義の弊害やそれを許す土壌等を考える事になり、当然ながら教育制度や内容にも関連する事になると思います。
戦後民主主義が導入されましたが押し付けの思想ををのまま鵜呑みにして来ています。真の民主主義の何たるか、そしてそれを自分達の血肉とする事が出来て初めて劣化が進化に変わるのではないかと思います。
コメント、ありがとうございます。
モタさんがおっしゃる「根本」という点では、私も、「自分の頭で考える」という基本的所作の弱化を感じています。
考える材料は、自分で見出すのが最善でしょうが、(「考える」プロセスが自己である限りは)外から与えられたものでも可としましょう。
ただ、あれこれと「考える」こと、そして「自分で考えたことを自分のことばで発信する」ことの大切さが、どうにも薄れてしまっているようです。
昨今の日本における「新書ブーム」も、知的欲求の高まりというよりむしろ、安易な他者による評論の受け売りの風潮を反映しているように思います。
モタさんが指摘されている「戦後の日本人の姿勢」については、最近読んだ金子光晴氏の「絶望の精神史」という本でも、明治期と比較して論じられていました。本職が詩人の方のエッセイなので、感性が鋭敏で結構興味深く読みました。
ともかく、「自分で考え、自分の意見をもつこと」、これは、私自身も常に意識して実践し続けなくてはならないと思っています。