まず最初の一区切りは、1500年から1648年まで。
1648年は、三十年戦争が終結した年です。講和条約として締結されたヴェストファーレン(ウェストファリア)条約により、神聖ローマ帝国の影響力が薄れ、世俗的な領邦国家がそれぞれの領域に主権を及ぼし統治するという新たなヨーロッパの勢力均衡秩序が確立されました。
(p65より引用) この時代にヨーロッパ人が経験したことといえば、政治のあらゆる無益な混乱や、残酷な武力衝突や、イデオロギーの確信を求めて行われた激しい戦いなどであったが、これらすべてはまったく無駄というわけではなかったのである。・・・彼らの闘争は、冨、人力、および才能を、政治的、経済的目的のために動員するヨーロッパ人の能力をひじょうに増大させた。
この政治活動の活性化が、王権が強力になった国々を帝国主義的営みに向かわせたのです。
そして、この時代は、中世において志向されたある種の完全性を否定する大きな潮流を生み出したのです。
(p78より引用) 普遍的な真理を発見し、強制するのではなく、ヨーロッパの人々は、意見を異にするという点で意見を一致させることが可能だ、ということを発見した。・・・このような多様性こそ、ヨーロッパ思想が、我々の現代にまでも継続してきわめて急速に進歩することを保証したのである。
本書において著者は、こういった大きな流れを的確に掴み、歴史における本質的なトピックとして提示していきます。そのコンセプト抽出に至るプロセスの特徴は分析と綜合にあるように思います。
(p207より引用) 旧体制からブルジョア体制への西欧文明の移行を分析するにあたって、(1)経済面、(2)政治面、(3)知的文化面、という三項目にわけるのはたしかに便利である。だが、こうした図式はいずれも人為的で、不完全であり、それぞれの横の関係を曖昧にする恐れがある。・・・経済的、政治的、および知的な変化は、それぞれがきわめて複雑かつ緊密にいりくんでいる。したがって西欧世界が体験したこの三つの様相のすべてが、いずれもひとつの全体を構成しているのである。
さて、世界史といえば、山川の教科書をいの一番に思い浮かべてしまう私ですが、本書を読むにあたって最も興味があったのは、カナダ生まれの著者の視点で「日本」がどうとらえられているかという点でした。
その観点からいえば、著者の日本分析は、たとえば江戸末期の評価にみられるとおり、私にとってはすっと腹に落ちるものでした。
(p193より引用) この国の将来にとって、より重要だったのは、一握りの日本の知識人たちが、大きな障害を克服して、中国の学問とともに西欧の学問を学ぼうとした事実である。・・・
こうした知的異端のいくつもの潮流について本当に重要な点は、それらの流れが合流し、たがいに支えあう傾向にあったという事実である。
江戸後期の洋学・国学等の流れとその意味づけを語りつつ、著者の解説はさらにこう続きます。
(p194より引用) 日本の開国は、いわば銃の引き金をひいたようなものだった。開国自体がこの国に革命をもたらしたのではない。だがそれによって、既存の体制に反対していたグループが政権につき、天皇と古来の正統復活の名のもとに、西欧の産業技術をそっくり自分のものにし始めたのである。ヨーロッパ文明との接触がもたらした機会を利用するうえで、これほどうまく受け入れの用意ができていたアジアの民族はほかになかった。徳川時代の日本に広く見られた対立する理念間の緊張や文化の二元性を、他の民族はかつて一度も経験していなかったからである。
的確な指摘だと思います。
大学生を中心に話題になっている本だとのことですが、確かに良書ですね。
世界史 下 (中公文庫 マ 10-4) 価格:¥ 1,400(税込) 発売日:2008-01 |