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親鸞 激動篇 (五木 寛之)

2012-05-20 10:01:17 | 本と雑誌

Shinran  以前読んだ「親鸞」の続編、今回の舞台は、流刑の地、越後の国と新たなる布教の地、常陸の国です。

 小説ですので、ストーリーについてのご紹介はやめておきます。
 とはいえ、気になったフレーズをひとつだけ。

(下p18より引用) はかなきこの世を過ぐすとて
海山稼ぐとせしほどに
よろずの仏にうとまれて
後生わが身をいかにせん

 親鸞はこの歌を思いだすたびに、胸がぎゅっとしめつけられるような気持ちがするのである。・・・無間地獄の恐ろしさを世にひろめたのは、仏門の僧たちである。
 生きて地獄。
 死んで地獄。
 救いをもとめて仏にすがろうとすると、よろずの仏は皆、さしだされた人びとの手をふり払って去っていく。
 おまえたちのような悪人を救うことはできない、と。

 一種マッチポンプのような当時の仏の教え、それに翻弄される庶民の苦悩を前にして親鸞は心を痛めます。親鸞自身も、師法然の教えを体得し切れない己の在り様に悩みは尽きません。五木氏の描く親鸞は、どこまでも聖俗混交の体で、これが器の大きさの表れなのか未だ未熟さの故なのか、どうもすっきりしないのです。

 本作品ですが、「激動篇」の上下をもって、刊行されているのは4冊になりますが、ここまでのところでは読み応えのある重厚な内容とは言い難いですね。
 親鸞の心の葛藤・成長が本幹ではありますが、そのあたりの描写も正直なところ深みを感じません。基本的なタッチは、前作と同様にエンターテイメント的、劇画調。別段、主人公が親鸞でなくてもある程度成り立ってしまうようなストーリーラインです。
 このあたり、本小説の評価・好悪の分かれるところかもしれません。

 私たちの世代の人間にとっては、五木寛之氏は一種、時代を象徴する先導者といった印象を抱かせる作家の一人です。
 今回は、私もノスタルジックに、「五木寛之」の名前をもって本作品に手を伸ばしているんだな、という感を改めて強くしました。


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発売日:2012-01-14



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