司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、東郷平八郎連合艦隊司令長官・参謀秋山真之らが日露戦争における日本海海戦勝利の立役者として描かれていますが、本書は、当時の海軍極秘資料から、そういった通説?とは別の結論を導き出しています。
まずは、日本海海戦勝因の一つ、バルチック艦隊通過コースの予測の経緯を辿ったくだりです。当時、艦隊幹部の間では、津軽海峡を通るという意見が主流でした。
(p120より引用) 加藤参謀長や秋山作戦参謀は、その明晰な頭脳によって、5月19日のルソン海峡における、敵に関する最後の確実な情報と敵艦隊の平均航海速力から、5月24、25日ころには対馬海峡に到達して然るべし、と論理的に考えた。
しかし藤井と島村は、海上経験から加藤、秋山とは別の論理で「かならず対馬に来る」と主張した。そして東郷の指揮官としての経験と直感は、後者の意見を採用することになった。
第二艦隊参謀長藤井較一と第二戦隊司令官島村速雄の反対が、東郷の連合艦隊の北進決定を遅らせ、対馬海峡での迎撃を可能にしたとの指摘です。当時、東郷は「対馬通過を予想していた」との説もありますが、もし藤井・島村両名の反対がなければ、艦隊幹部総意としての北進に同意していた可能性も否定できなかっただろうと著者は考えています。
もうひとつの勝因、連合艦隊の敵前大回頭いわゆる「丁字戦法」の舞台裏についてです。著者は、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の一節を引きながら、こう論じています。
(p159より引用) 「海戦に勝つ方法は」
と、のちに東郷は語っている。
「適切な時機をつかんで猛撃を加えることである。その時機を判断する能力は経験によって得られるもので、書物からは学ぶことはできない」・・・(『坂の上の雲』「運命の海」)
東郷が語る「海戦に勝つ方法」は、たしかにそのとおりであろう。しかし、日本海海戦において東郷が風向・距離などから「とっさに判断」し、丁字戦法を決行したという判定については、正しくないと思う。
実は東郷の連合艦隊が洋上でロシア艦隊と遭遇したときに丁字戦法を採用することは、東郷が日露開戦直前の明治37年(1904)1月9日、「連合艦隊戦策」中に明記し、部下の将校にあらかじめ示していたものだった。
日本海海戦に先立って、東郷は実際三回にわたりロシア艦隊に対し丁字戦法のリハーサルを行いましたが、その三回とも失敗に終わっていたとのことです。
そして四度目、日本海海戦における成功の要因は、「丁字戦法を、バルチック艦隊が逃げることのできない対馬海峡という狭い戦域で実行した」ことによります。もちろん、これは先の三度の失敗からの教訓を生かしたものでした。
最後に、本書の論旨とは離れますが、私として印象に残った記述を記しておきます。著者が語る「参謀の条件」です。
(p107より引用) 参謀の条件として第一に必要なことは、指揮官の頭脳を補佐することである。すなわち参謀の役割は、指揮官の計画や決心に必要な多くの情報資料を整備して適切な助言をすることであり、指揮官の計画や決心が固まれば、それを実行に移す事務を的確に処理することである。・・・
第二に必要な条件は、指揮官の計画や決心が部隊の末端まで伝達されて徹底しているかを確かめ、確実に実行されるようにしなければならないことだ。
非常に明晰です。特に第二の条件の指摘は勉強になりますね。
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