マックス・ウェーバーは、現代社会科学の基礎を築いたといわれるメジャーな社会学者なので、常識的なレベルのことは知っておきたいとの気持ちがあります。
そういう意識から、以前も、何冊かのウェーバーの著作や、「入門」と名のつく本として、山之内靖氏の「マックス・ヴェーバー入門(岩波新書)」を読んでみました。
本書は、ウェーバーの学問・主張そのものにフォーカスした内容というよりも、ウェーバーが活躍した時代の学問的思潮や歴史的背景等の解説が相対的に充実しています。
大きな学究の潮流の中でのウェーバーの位置づけを明らかにしようという意図は、まさに、これからウェーバー研究を深めようとする人にとっての「入門」といえるものでしょう。
さて、著者によると、ウェーバーは歴史主義の方法論を再整理したといいます。
(p67より引用) ウェーバーによれば、経験科学には大きくいって、一般的な規則性・法則性の発見を目指す方向と、個別具体的な現象とその原因・結果の因果関係を明らかにする方向の、二つの方向があります。前者を「法則科学」、後者を「現実科学」とウェーバーは呼んでいます。両者は認識目的がまったく異なっている。たとえば法則科学のように法則性を追求して、その一般的適用可能性を拡大しようとすれば、それだけ現象の個別具体的な側面は抽象化されることになるし、他方で現実科学が現象の個別具体的な内容を探求すればするほど、そこで獲得された知識は一般性をもたなくなる。いずれの方向を認識の目的とするかによって科学のあり方は異なってこざるをえない、とウェーバーはいうのです。
このふたつの方向の中で、ウェーバーは「現実科学」に重きを置きました。
(p69より引用) いくら法則性の知識が重要であるといっても、法則性の知識だけから具体的な現実の姿を導き出すことはできない。・・・だからわれわれの「現実科学」にとって法則性の知識は、あくまでも具体的な現象をとらえるための手段にすぎない、というのがウェーバーの立場でありました。
こうやってとらえた現象に対して意味づけをするのが「認識する側の人間の価値観」になります。
(p71より引用) ある事象が歴史的に意義あるものであるかどうかは、ぎりぎりつきつめればわれわれ認識する側の人間がみずからの関心において選び取るという一点にかかっている。こう主張することによって、ウェーバーは歴史主義の核心、すなわち普遍的・一般的な法則を重視する自然科学的思考の優位に対して、歴史的なものの究極的なよりどころを救い出そうとしたということができるでしょう。
研究者の研究対象の選択において、この価値観がメルクマールとなります。
(p75より引用) 研究者は、彼の問題意識から「興味ある」対象を選択しているのであって、一般的・普遍的な法則などから自動的に研究対象が出てくるわけではありません。こうした問題関心の背後には各人の価値観があり、その限りにおいてはやはり対象の選択の問題は究極的には価値判断の問題と関わってくることになります。むしろ各人の拠って立つ価値の自覚を促すところにウェーバーの方法論のいま一つの意味がありました。
価値観といってもあくまでも「研究者各人の価値観」です。
その意味で、ウェーバーは、経験科学の政策論的有効性に明確な限界を設定したのでした。
マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書) 価格:¥ 777(税込) 発売日:2006-02-11 |