(p184より引用) 秩序と乱雑の二つの世界は、いずれも複雑なものではない。私たちにとって厄介なのは、両者の間に位置する世界である。秩序がありそうだが、なさそうでもある。乱雑なようでもあるが、乱雑でないようでもある。わかりそうでわからない。そのような世界が、私たちにとってむずかしい複雑な世界なのである。
秩序だった世界でかつ十分な情報を得ることができれば、結果の予測の確度は高く判断には困りません。
また、情報が全くなく完全に乱雑な対象だと、今度は、純粋に「確率論」として割り切って判断することができます。
(p184より引用) 複雑さの原因は「中途半端な情報量」にある。この程度の情報では、さまざまな憶測が可能となり、「複雑度が増大」してしまう。情報が十分にある場合とまったくない場合には、逆に「複雑度は減少」する。
現実的には、100%十分な情報が揃うことも極めて稀ですし、また、全く情報がないということもめったにありません。
そういった状況下では、(私などは)やはり少しでも情報が多い方がより適切な判断に近づく可能性があるのでは、と思ってしまいます。「溺れるものは藁をもすがる」との気持ちです。
そうなると後は、集めた情報の「頼りがい」次第になります。「情報の正確性・信憑性」や「情報に含まれる揺らぎ」等をどう見極めて、少しでもマシな道を選ぶかということです。
(まあ、その判断も全体の中では「揺らぎ」の範囲内ということで程度問題に過ぎないかもしれませんが・・・)
結局のところ、最終的には、「やばいと思ったときに素早くハンドルを切ることができるかどうか」すなわち「変化への対応能力」が最後の砦になるのでしょう。