放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

おめでとうございます!一代 正月芸人の執念 海老一染太郎

2008年01月22日 19時19分04秒 | Weblog
今日の「とくダネ」(MC:小倉智明 佐々木恭子 笠井信輔)「新・温故知人」(プレゼンター:柳家花緑)は、「おめでとうございます!」の正月芸人 海老一染太郎師匠の壮絶な生き様。
 2002年に亡くなった師匠は、60年以上、弟の染之助師匠とコンビを組んで
「おめでとうございます!」あら始まって、「いつもより多めに回しております」「私が頭脳労働担当で、弟は肉体労働」と、自分は何もしないのに大声で合いの手を入れる、お笑いの用語では半畳(はんじょう)を入れる(=茶々をいれる)芸で一世を風靡します。
 オチが、染之助師匠の「これでギャラおんなじ!」

今回、初めて知りましたが、この兄弟、仲が思い切り悪かった。通夜の席で、染之助師匠が思わず告白したように、「染太郎を兄だと思ったことはありません」
芸風の違いからだった。
兄染太郎は、天才肌で何でもできるが、そこそこで止まる。一方、弟の染太郎は、不器用な代わり「人が10なら100、100なら1000」稽古することを厭わない、宴会に誘われても自分を律し、殆ど酒に口をつけず、早々と寝るが、兄は酒や賑やかなことが大好きで、いつまでも飲んでいる。
染之助染太郎の明るい芸風は、兄のこんなキャラによるものだが、生き方、価値観の違いは大きく、常に衝突。舞台の上ですら、大喧嘩だった。

これを聞いたとき、思い出したのは、貴乃花、若乃花の兄弟横綱のこと。天才肌で稽古嫌いの若乃花に対し、貴乃花は相撲馬鹿。時間さえあれば、四股を踏み、鉄砲を出し、ビデオの先人の取り組みを見る。・・・で、合わなくなったことはご存知の通り。

ある日、ついに染之助師匠は、兄に向い「舞台の上で何もするな!」と宣告する。
さすがに染太郎師匠も焦り、(・・・芸を捨てようか)とまで考える。その頃、
ある舞台で、「ありがとうございます」と言うところを間違えて「おめでとうごじあます」と言ったところ、大ウケ!
そこで、ハッと気がついた。(太神楽という芸は、伊勢神宮の神官が、布教の過程で祝いを伝えるための余興。おめでたいを伝える伝統芸だ!)
そこで、「おめでとうございます」を芸にしようと考えた。一生懸命、芸をする弟の脇で、血管が切れそうに絶叫する、熱血半畳芸が完成した。

正月にぴったりの芸と以降大うけ、正月に欠かせない二人となった。染太郎師匠が亡くなった2002年1月1日、最後のテレビ出演となったのが、元旦のナマ番組、フジ「ヒットパレード」の出演だった。
染太郎師匠は、癌で余命3カ月と宣告されていたが、やせ細った身体に肉襦袢を羽織り、テレビ出演する。殆ど意識朦朧状態だったにも関わらず、点滴を打ちながら、出番ぎりぎりまで、「おめでとうございます」を繰り返し、稽古していた。
正月芸人海老一染太郎師匠は、正月が終わった2月2日、旅だった。
その凄まじいまでの芸人魂に、書きながら、僕は泣いた。

道ゆく大神楽―獅子舞と曲芸の芸能史
宮尾 与男
演劇出版社

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