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おはようございます。

昨日、大リーグボールのことを書いたので、今日は”魔球”の歴史。

カミングスは、身長175cm、体重54kgという小柄な身体にもかかわらず、カーブを使って、引退するまで毎年28勝以上を上げるという快挙を成し遂げて 1939年、野球殿堂入りをしています。
カミングは、1863年、14歳の時、ニューイングランドの海岸で貝殻を投げていてカーブを思いついたといいます。


当時の人気雑誌や科学者まで参加して展開した大リーグ史上名高いその論争は、カーブは本当に曲がっているのではなく、幻覚だという「カーブは幻」論争でもあります。
1870年、同じく大リーグのゴールドスミスが公開実験を行い、カーブが曲がることを実証しました。しかし、ゴールドスミスのカーブは、カミングスとは対照的に、人を騙す卑怯な手だといわれ、ゴールドスミスは不遇のまま死んでいくことになります。
小柄なカミングスが魔球を操って大男たちに立ち向かうのは評価されても、大柄のゴールドスミスがカーブを投げるのはアンフェアだとされたのです。
しかし、その後も論争は続き、1877年、シンシナチで、物理学者が参加して調査研究が行われた。この実験は、投手と捕手の間に、カーブが本当に曲がらなければ捕手のミットに届かない間隔で、2本の棒を立てて行ったものでした。この時、
投手は全球、ミットに投げたと記録されています。
だが、この時、これを目撃したシンシナチ大の学者たちは、「野球ボールが曲がることはありえない、目の錯覚」だと言ったといわれています。

その後も論争は続き、1940代には、カーブを目の錯覚と断じた写真誌ライフと曲がると主張したルック誌の人気雑誌を巻き込んだ論争まで起り、1953年、ライフが、カーブは曲がると認めるまで、この論争は続きました。
今では、常識とされるカーブが認められるまでに、80年以上の年月がかかったのです。
