まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
などとせめて心の中で島崎藤村を嘯きながら
俺は餃子の皮をウネウネさせておったわけで。
理学部の友達から「餃子祭りやるぞ。」とメールが来たのがお昼の3時、
どこぞの王将で餃子1日3000個の一翼を担うものと思っていたら
まさか男4人で手作り餃子をウネウネさせることになろうとは。
人生はこれだから楽しい。
出来上がった大量の餃子を貪りつつ麦酒を飲みつつ、
心行くまで餃子(チャオズ)を弄んだ我々は
生理学的観点から言ってもそろそろ甘いものが欲しくなってくるころで、
どうやって自分以外の誰かにアイスを買ってこさせようかと
秘密裏に牽制しあっていたわけで。
間
最終的にお前行けよ嫌お前が行けの押し付けあいとなってしまったこの場を収められるのは
欺瞞に満ちた民主主義(斬捨御免の多数決)なんかではもちろんなくて、
我々が目下頼むのは健全なる男子生徒の週刊バイブル、ジャンプである。
『友情』を保ちつつ普段(不断)の『努力』を生かして『勝利』を我が手に。
まぁ平たく言えばバトルだよ、バトル。
しかし残念ながら我々の中にかめはめ波を撃てるサイヤな人材など無く
せめてデスノートの切れ端でもあればまとめて操ってアイスを買いに行かせるのに、
などと恐ろしい考えを抱いてしまうようなキラな人間もいない。
友情を保ちつつ。ここ重要。
ここで「阿弥陀くじで決めよう」などと言い出す輩が出たとしたら、
打ん殴ってでもその折れた性根を叩き直してやるのが友の務めである。
我々のように常日頃から脳を磨き体を磨き男を磨き
よもや磨り切れ残るのは真紅の魂だけではないかと危惧されるような豪傑に対し、
運任せの阿弥陀くじで勝負を決しようとなどと呈するのはもはや侮辱以外の何物でもない。
――ばばぬき。
ちゃぶ台の上で繰り広げられる視線の交錯、華麗なる運命連鎖
攻撃と防御がはっきりと分かれるシンプルなスタイル
手札の並びや空間的配置を綿密に追及していくタクティクス
神秘的な手の変幻とそこから繰り出される無数のフェイント
これこそ、戦争の神オーディンが我々に与え給うた至極の対決方法である。
小洒落た漆黒のトランプが配られ、遂に、決戦の火蓋が切って落とされた。
●
まず行われるのはカードを引く順番決めじゃんけんである。
さして勝敗に影響は無いと考える者から、まず消えると考えていい。
このばばぬきというゲームは壮絶な心理戦である。
気心知れないとか気心知れたとかどっちでもいいが、
我々は理学部4組の四天王と称されるほどの実力者であり、そして友である。
お互いの性格がある程度わかっている以上、
・いかに現在の心理状態を推し量るか
・いかに現在の心理状態を混沌へと導くか
が勝負の分かれ目となる。
そしてそのじゃんけんこそ、
両点を同時に賄える格好の場なのである。
じゃんけんに勝つことにより、
わずかでも相手に精神的不安を与えられることは言うまでもない。
そこまではデュエリストならば誰もが考え付く域である。
しかし!私はあらゆるデュエリストを超越する!!
私はじゃんけんにおいて、
最小のリスクで相手に最大の精神的ダメージを与える術を習得している。
その術はまさに一子相伝にて門外不出。
我が永遠の師である父曰く、
「最初はグーの次、須くグーを出すべし」
グーチョキパーで何作ろうの歌にも示される通り
グーの次はチョキ、という動作が日本人には総じて刷り込まれている。
よって最初はグーの次はみな、チョキを無意識に出そうとするのである。
チョキを出してしまった者は、則ち文化人類学的に敗北したと言って良い。
そこで、グーの登場。
なんとなくチョキを出してしまった者、
否、意思無きマリオネットと成り果てた相手を
殴るのである。グーで。(比喩的に)
グーの次にまたグーというまさかのシチュエーションに、相手は動揺を隠し切れない。
そして自分の腕に付いた糸を自覚し、
イノセント・マリオネットは再起不能[リタイア]である。
ならばパーを出す相手に対してどう精神的ダメージを軽減するのか。
またしても偉大なる父の言葉を借りれば、
「パー出すやつに負けるのは仕方ない。パー出すやつはインケン!」
である。パーを出す人を俺は信用しないし、負けても悔しいとは思わない。
よって精神的ダメージは0である。
グーを出す、その覚悟が俺を強くする!
いざっ!じゃんけん!!!
「最初はグー、じゃんけん ほい。」
→グー、グー、グー、チョキ。
勝った!
この勝負もらったっ!
単純に計算しても、ダメージは通常の3倍(∵グー×3)である。
もはやチョキに立ち直る術はない。
…しかしグーを出した二人もさすがである。
まさか、我流でグーを編み出すとは。
いやしかし、アイスを買いに行くのはあくまで一人。
その一人が今まさに決定したのだ。
後のじゃんけんなど勝敗は関係ない。適当に流す。
こうして、ばばぬきの本番が始まった。
つづく。(無駄に)
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
などとせめて心の中で島崎藤村を嘯きながら
俺は餃子の皮をウネウネさせておったわけで。
理学部の友達から「餃子祭りやるぞ。」とメールが来たのがお昼の3時、
どこぞの王将で餃子1日3000個の一翼を担うものと思っていたら
まさか男4人で手作り餃子をウネウネさせることになろうとは。
人生はこれだから楽しい。
出来上がった大量の餃子を貪りつつ麦酒を飲みつつ、
心行くまで餃子(チャオズ)を弄んだ我々は
生理学的観点から言ってもそろそろ甘いものが欲しくなってくるころで、
どうやって自分以外の誰かにアイスを買ってこさせようかと
秘密裏に牽制しあっていたわけで。
間
最終的にお前行けよ嫌お前が行けの押し付けあいとなってしまったこの場を収められるのは
欺瞞に満ちた民主主義(斬捨御免の多数決)なんかではもちろんなくて、
我々が目下頼むのは健全なる男子生徒の週刊バイブル、ジャンプである。
『友情』を保ちつつ普段(不断)の『努力』を生かして『勝利』を我が手に。
まぁ平たく言えばバトルだよ、バトル。
しかし残念ながら我々の中にかめはめ波を撃てるサイヤな人材など無く
せめてデスノートの切れ端でもあればまとめて操ってアイスを買いに行かせるのに、
などと恐ろしい考えを抱いてしまうようなキラな人間もいない。
友情を保ちつつ。ここ重要。
ここで「阿弥陀くじで決めよう」などと言い出す輩が出たとしたら、
打ん殴ってでもその折れた性根を叩き直してやるのが友の務めである。
我々のように常日頃から脳を磨き体を磨き男を磨き
よもや磨り切れ残るのは真紅の魂だけではないかと危惧されるような豪傑に対し、
運任せの阿弥陀くじで勝負を決しようとなどと呈するのはもはや侮辱以外の何物でもない。
――ばばぬき。
ちゃぶ台の上で繰り広げられる視線の交錯、華麗なる運命連鎖
攻撃と防御がはっきりと分かれるシンプルなスタイル
手札の並びや空間的配置を綿密に追及していくタクティクス
神秘的な手の変幻とそこから繰り出される無数のフェイント
これこそ、戦争の神オーディンが我々に与え給うた至極の対決方法である。
小洒落た漆黒のトランプが配られ、遂に、決戦の火蓋が切って落とされた。
●
まず行われるのはカードを引く順番決めじゃんけんである。
さして勝敗に影響は無いと考える者から、まず消えると考えていい。
このばばぬきというゲームは壮絶な心理戦である。
気心知れないとか気心知れたとかどっちでもいいが、
我々は理学部4組の四天王と称されるほどの実力者であり、そして友である。
お互いの性格がある程度わかっている以上、
・いかに現在の心理状態を推し量るか
・いかに現在の心理状態を混沌へと導くか
が勝負の分かれ目となる。
そしてそのじゃんけんこそ、
両点を同時に賄える格好の場なのである。
じゃんけんに勝つことにより、
わずかでも相手に精神的不安を与えられることは言うまでもない。
そこまではデュエリストならば誰もが考え付く域である。
しかし!私はあらゆるデュエリストを超越する!!
私はじゃんけんにおいて、
最小のリスクで相手に最大の精神的ダメージを与える術を習得している。
その術はまさに一子相伝にて門外不出。
我が永遠の師である父曰く、
「最初はグーの次、須くグーを出すべし」
グーチョキパーで何作ろうの歌にも示される通り
グーの次はチョキ、という動作が日本人には総じて刷り込まれている。
よって最初はグーの次はみな、チョキを無意識に出そうとするのである。
チョキを出してしまった者は、則ち文化人類学的に敗北したと言って良い。
そこで、グーの登場。
なんとなくチョキを出してしまった者、
否、意思無きマリオネットと成り果てた相手を
殴るのである。グーで。(比喩的に)
グーの次にまたグーというまさかのシチュエーションに、相手は動揺を隠し切れない。
そして自分の腕に付いた糸を自覚し、
イノセント・マリオネットは再起不能[リタイア]である。
ならばパーを出す相手に対してどう精神的ダメージを軽減するのか。
またしても偉大なる父の言葉を借りれば、
「パー出すやつに負けるのは仕方ない。パー出すやつはインケン!」
である。パーを出す人を俺は信用しないし、負けても悔しいとは思わない。
よって精神的ダメージは0である。
グーを出す、その覚悟が俺を強くする!
いざっ!じゃんけん!!!
「最初はグー、じゃんけん ほい。」
→グー、グー、グー、チョキ。
勝った!
この勝負もらったっ!
単純に計算しても、ダメージは通常の3倍(∵グー×3)である。
もはやチョキに立ち直る術はない。
…しかしグーを出した二人もさすがである。
まさか、我流でグーを編み出すとは。
いやしかし、アイスを買いに行くのはあくまで一人。
その一人が今まさに決定したのだ。
後のじゃんけんなど勝敗は関係ない。適当に流す。
こうして、ばばぬきの本番が始まった。
つづく。