二つの話を書きます。
自分にとっての、踏み絵、わが娘との溝のように思えたシーンです。
娘が大学2年の8月の終わり、1年間の中国留学に出発する二日程前だったでしょうか。
留学が決まってから、課外に語学の特訓をしてもらっていた、中国からの交換留学生を一晩我が家に招待しました。
彼女は1ヶ月後に帰国する人でした。
大型のラジカセの入ったダンボールを持ってきました。娘の荷物として持っていって欲しい、との話です。
えっ、何で?と思いました。
みんなが帰国するときは、短期旅行する日本人学生と一緒だったりして、荷物を分散して頼めるけれど、一人遅めの帰国になった自分は、頼む人がいないから、と。
でも、母親としては、これから1年間はじめて留学する娘に、中国では入手できないだろうと、日用品も買い揃えていました。トランクはいっぱいです。
お母さんも見送りに行くでしょう、だからお母さんがこの荷物をもって行って、カートに乗せれば大丈夫、向こうでは、私の父親が荷物を受取りに来ているから、と。
不慣れな体験で、ミスのないように一生懸命なのに、飛び入りで、こんな申し出。
「自分の荷物は自分でもって帰ればいいのに、なんで?あつかましい」と、思いました。
娘は、「いいじゃない。持って行ってあげる」です。
おまけに、膨らんだ布製バックをだして、これもネ、と。
その日の中国人の彼女は、我が家のお客さん、です。
嫌な空気を何とか納めなくてはならない、こともあって、拒まないまま、話は終わりました。
こんなとき、私は一晩眠れなくなるのです。
なんで、あんなに大きなダンボールと、バックを留学荷物に追加しなくてはならないのか、と、悩んで。
そして、「いいよ」と、言ってしまうわが娘。
翌朝、私が渋っているのを察して、手荷物のバックだけは、持ち帰ってくれました。
で、出発当日、空港まで、見送りに行きました。
勿論重い荷物だから、カートを使いました。
「手荷物検査で、重量オーバー7000Oか9000円プラス」と娘。
あっ!これだったのだ。
しきりに、中国では物が安いから、何も日本から持っていかなくても、向こうで買えばいい、…だから、自分の荷物は持っていって、ということをしきりに口にしていたのは。
勿論、財布から出すのは、私です。
中国人にはその金額は相当負担でしょう。
だからといって、出費が予想されることが分かっていて、押し付けるのはどうなのだろう、私は、こんなとき、門扉を閉めたくなる気分になるのです。
これが、私の踏み絵。
器が小さいのでしょう。
いいじゃない、お母さん、そんなことでガタガタいうお母さんって、ケチね、
そういわれるから、ここで生まれるのが、娘との溝。
人助け、はお節介な性格もあって、イヤじゃないし、寄付をしたこともないわけじゃないのに、こんなシーンでは、イエロー信号をがともるのです。
ま、一回こっきりの話ですから、いいんですけどね。
因みに、着陸した空港で、もう一度関税が9000円ほどかかったそうです。
それは、先方のお父さんが支払ったから、と、娘はケロッとしているのですが…。
娘の海外行きを空港までの送迎は2、3度でしょうか。
その後は、最寄の地下鉄までの送迎になりました。
だから、そのラオス行きのときも、目にすることはなかったのですが、たまたまこちらの空港発とのことで,我が家に前泊しました。
結婚を決めてからの二人でのラオス行きでした。
一晩早めに帰省した娘は、トランクを開けて、家族用に準備したお土産の品を見せてくれました。贅沢品なんてありません。ジャケットやスニーカーや、赤ちゃんの粉ミルク。クレヨンにお絵かき帳。廉価で揃えた必需品ばかりです。
コレは誰に、アレは誰用、と、説明しながら見せてくれました。
彼の家族へのお土産を二人で手分けして持っていく、の図です。
1週間ほどの滞在ですから、自分用の荷物も勿論あります(普通は自分用だけでいっぱいになるでしょう)。
あー、物資が不足しているから、日本のこんな品物が喜ばれるのだ、と眺めていました。
二人揃って、空港へ向かうために、地下鉄駅まで送ったところで、娘が、こそっと、言うのです。
「家に私の洋服を置いてきたけれど、忘れ物じゃないからね。彼が持ってきたお土産で、入りきらなかったものを入れるために、私の着替えを減らしたの」と。
「分かった」とは、勿論返事はしますが、あんまり愉快じゃないのです。
彼は、自分の故郷の家族に、目いっぱいのお土産を持って行きたいのでしょう。その心根は分かります。でもサ、…と、思ってしまうのです。
ラオスの粉ミルク、輸入品だって。賞味期限なんかいい加減で、良くないから、お兄さんの赤ちゃん用に送っているの。送料高いから、出来るだけ持って行きたいってわけ。
ハイハイ分かります。
でも、なんだか、娘は荷物運搬人なんだ、そんな気分にも。
娘は、ちっとも苦にしていなくて、豪快なのでしょうか。
娘のトランクの中身を知ることがなかったら、気にすることもなかっただろうに、なんて、心が狭いのだろう。
家族に贈り物をするのは、誇らしいことです。
息子から、弟から、兄から、従兄弟から贈り物を貰う人たちは、うれしいでしょう。
そして、夫が懸命に家族に尽くしている姿を見る娘も、満足しているのでしょう。
こんな場面も、私の中の母性の踏み絵です。
自分にとっての、踏み絵、わが娘との溝のように思えたシーンです。
娘が大学2年の8月の終わり、1年間の中国留学に出発する二日程前だったでしょうか。
留学が決まってから、課外に語学の特訓をしてもらっていた、中国からの交換留学生を一晩我が家に招待しました。
彼女は1ヶ月後に帰国する人でした。
大型のラジカセの入ったダンボールを持ってきました。娘の荷物として持っていって欲しい、との話です。
えっ、何で?と思いました。
みんなが帰国するときは、短期旅行する日本人学生と一緒だったりして、荷物を分散して頼めるけれど、一人遅めの帰国になった自分は、頼む人がいないから、と。
でも、母親としては、これから1年間はじめて留学する娘に、中国では入手できないだろうと、日用品も買い揃えていました。トランクはいっぱいです。
お母さんも見送りに行くでしょう、だからお母さんがこの荷物をもって行って、カートに乗せれば大丈夫、向こうでは、私の父親が荷物を受取りに来ているから、と。
不慣れな体験で、ミスのないように一生懸命なのに、飛び入りで、こんな申し出。
「自分の荷物は自分でもって帰ればいいのに、なんで?あつかましい」と、思いました。
娘は、「いいじゃない。持って行ってあげる」です。
おまけに、膨らんだ布製バックをだして、これもネ、と。
その日の中国人の彼女は、我が家のお客さん、です。
嫌な空気を何とか納めなくてはならない、こともあって、拒まないまま、話は終わりました。
こんなとき、私は一晩眠れなくなるのです。
なんで、あんなに大きなダンボールと、バックを留学荷物に追加しなくてはならないのか、と、悩んで。
そして、「いいよ」と、言ってしまうわが娘。
翌朝、私が渋っているのを察して、手荷物のバックだけは、持ち帰ってくれました。
で、出発当日、空港まで、見送りに行きました。
勿論重い荷物だから、カートを使いました。
「手荷物検査で、重量オーバー7000Oか9000円プラス」と娘。
あっ!これだったのだ。
しきりに、中国では物が安いから、何も日本から持っていかなくても、向こうで買えばいい、…だから、自分の荷物は持っていって、ということをしきりに口にしていたのは。
勿論、財布から出すのは、私です。
中国人にはその金額は相当負担でしょう。
だからといって、出費が予想されることが分かっていて、押し付けるのはどうなのだろう、私は、こんなとき、門扉を閉めたくなる気分になるのです。
これが、私の踏み絵。
器が小さいのでしょう。
いいじゃない、お母さん、そんなことでガタガタいうお母さんって、ケチね、
そういわれるから、ここで生まれるのが、娘との溝。
人助け、はお節介な性格もあって、イヤじゃないし、寄付をしたこともないわけじゃないのに、こんなシーンでは、イエロー信号をがともるのです。
ま、一回こっきりの話ですから、いいんですけどね。
因みに、着陸した空港で、もう一度関税が9000円ほどかかったそうです。
それは、先方のお父さんが支払ったから、と、娘はケロッとしているのですが…。
娘の海外行きを空港までの送迎は2、3度でしょうか。
その後は、最寄の地下鉄までの送迎になりました。
だから、そのラオス行きのときも、目にすることはなかったのですが、たまたまこちらの空港発とのことで,我が家に前泊しました。
結婚を決めてからの二人でのラオス行きでした。
一晩早めに帰省した娘は、トランクを開けて、家族用に準備したお土産の品を見せてくれました。贅沢品なんてありません。ジャケットやスニーカーや、赤ちゃんの粉ミルク。クレヨンにお絵かき帳。廉価で揃えた必需品ばかりです。
コレは誰に、アレは誰用、と、説明しながら見せてくれました。
彼の家族へのお土産を二人で手分けして持っていく、の図です。
1週間ほどの滞在ですから、自分用の荷物も勿論あります(普通は自分用だけでいっぱいになるでしょう)。
あー、物資が不足しているから、日本のこんな品物が喜ばれるのだ、と眺めていました。
二人揃って、空港へ向かうために、地下鉄駅まで送ったところで、娘が、こそっと、言うのです。
「家に私の洋服を置いてきたけれど、忘れ物じゃないからね。彼が持ってきたお土産で、入りきらなかったものを入れるために、私の着替えを減らしたの」と。
「分かった」とは、勿論返事はしますが、あんまり愉快じゃないのです。
彼は、自分の故郷の家族に、目いっぱいのお土産を持って行きたいのでしょう。その心根は分かります。でもサ、…と、思ってしまうのです。
ラオスの粉ミルク、輸入品だって。賞味期限なんかいい加減で、良くないから、お兄さんの赤ちゃん用に送っているの。送料高いから、出来るだけ持って行きたいってわけ。
ハイハイ分かります。
でも、なんだか、娘は荷物運搬人なんだ、そんな気分にも。
娘は、ちっとも苦にしていなくて、豪快なのでしょうか。
娘のトランクの中身を知ることがなかったら、気にすることもなかっただろうに、なんて、心が狭いのだろう。
家族に贈り物をするのは、誇らしいことです。
息子から、弟から、兄から、従兄弟から贈り物を貰う人たちは、うれしいでしょう。
そして、夫が懸命に家族に尽くしている姿を見る娘も、満足しているのでしょう。
こんな場面も、私の中の母性の踏み絵です。
お宅のお嬢さんがあまりにも寛大すぎて、マザー・テレーサ並ですものねぇ。他の人たちが彼女にも同じように反応してくれたら良いのになァと思います。
「与うる者は幸いなり」と言う考えの人なんですよね。神様はきっとよく見ていて下さるでしょう。そう信じたいです。
1年無事に過ごせたからと、途上国支援団体に寄付を続けてきたりして、いい気になっていたけれど、こんな場面に、ギクシャクしてしまうのも自分だと思うと、落ち込んでしまうのです。
serenaさん、ご存知ですか「幸福な王子」という童話。
そんなに沢山の本を読む子じゃなかったけれど、小学生頃の月刊誌で読んだ、この話に心打たれた子供でした。でも、ずっとあの話が好きな自分と思っていたけれど、こんな場面で、えっ!とわが子の守りに入ってしまうのです。
夫も、彼女を支持する口です。
実家の兄に、いつか語ったとき、「よく、そんな子に育てたね」って、いいました。
私じゃありません。夫の中の因子だったのかも。あの環境で育って,10人の扶養家族を養って、ちっともめげずに、前向きな彼を、僕も尊敬するよ、と、昨日も私の横でいいました。
因みに、夫は25歳で裁判官という人生のひとです。
ああ、私って、子育ての母としては、保守ですね~。
私も途上国に住む友人が何人かおり、彼女の帰省にあわせて、私が遊びに行くときに彼女の荷物を私も持っていってあげたことがあり、関税の重量制限について、この記事を読み始めたときからピンときました。
街中の案山子さんは、ご主人の血を娘さんがひいたと書いておられますが、夫婦2人で育てているからこそなので、街中の案山子さんにも十分素質はあるんだと思いますよ。serenaさんのおっしゃるとおり、偉大です。
それとは別に、私も母になって思ったのは、いつでも娘の幸せを願うこと。
「娘はこれで幸せなんだろうか?」「本当にこれでいいのか?」って、それはやっぱり母性がそう気にかけるのでしょうね。自分の娘となると、ボランティアや寄付とは別の部分なのかもしれませんね。
で、一方娘さんは「私はこういう尽くすことで、幸せを感じるの。心配しないで。」と主張するのでしょうね。
若いころに在籍した会社で、途上国に赴任する彼と、入籍だけ済ませ、自分は日本に残って会社で働く・・・という同僚がいました。
彼女、年末年始に、それまで貯めたすべての有給をつかいはたし、彼に会いに毎年行くんですね。
彼女のお母さんが一度、彼の親に「うちの子は、自分で稼いだお金で航空券を買い、おみやげをたくさんもって、自分の有給を使い果たして会いに行くのに、そちらからは援助がないのか?」と詰め寄ったそうです。
私はその話を聞いて、「そんなこと、面と向かっていうなんて、失礼だな」とおもったのですが、娘を持ってみて、言いはしなくても、我が子かわいさに心の中で思うかもしれないなぁとは思いました。
街中の案山子さんは、悩んでちゃんと遠くから見守っているんだから、偉大です。。。
娘は今取りざたされている、特殊法人のプロパーとして採用されました。就職超氷河期だったから、100倍を有に超える志願者の中、採用されたのでしょう。同期は凄いキャリアの持ち主ばかり、と言っていました。早々に、ニューヨークや上海に出張したり、そして出張先はどこも当地の一等地に所在しており、ヤンキースの試合見物なども盛り込まれて、好待遇な職場でした。
で、公務員なみだろうから、将来も仕事を続けられるし、との母親の助言もうるさく感じられるばかりで、耳を貸すことなく、○省からの出向組が幅を利かせている職場で、その他諸々を理由に、将来を望めないと、飛びだしました。私など、自分のそこそこの能力を推し量って…、という思考をしてしまうのですが、彼女の発想は、そんなこと意に介しません。
自分が安心していたいがために、本人の自由意思であるべきところを誘導しようとしているのか、自問です。
オオバケする人たちって、こんなものでしょうかね~。