日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

つづき、私の想い。

2009-02-11 08:03:12 | 私の雑感あれこれ
「いい立場にいるキミの自己満足だけではないか。相手の立場を考えろ」
そういわれてしまいました。

実は、三男の妻を労いたい気持ちがあるのです。
彼女は、人生の20年を、重い石を抱えるように生きてきたのではないだろうか。
そう思うところがあるのです。

誰も、いい人でありたい。
よい関係でありたい。
そう思うのは、素直な気持ちです。

それが通じない悲しみ。
彼女たち夫婦は、結婚数年で姑と別居という選択をしました。

我が家が子連れで盆正月に夫の実家に行っても、彼女は顔を見せることなく、嫁入り道具にもってきたグランドピアノがひっそりとありました。

可愛がって育ててもらい、十二分に幸せになって欲しいという思いを込められていたであろう、ピカピカのグランドピアノが悲しそうでした。

10年以上前ですが、精神的にも参ってしまった、と聞いたりもしました。
でも、子供たちはみんな母親思いのいい子に育っていると聞こえてきて、それはよかったと思っていました。
ピアノを専門としているひとだから、努力家であることはわかるし、いつか話せるときが来る、そう思っていました。

私がヨメのトップバッターとして苦しんだときがありました。
愚痴ると、若いキミが我慢しろ、と返ってくることが多く、彼女から辛い、悩んでいると聞いたとき、理解してくれる人ができたと、
本心、救われた思いがしたのは、事実です。

だから、彼女の20年、なんともいいようがないのです。
だから、私たち(長男の妻と私)は、一切彼女の負担をかけてはならない、
それで通してきたのです。

でも、通じていない。
遠く離れていて、いい身分、に見えたのでしょう。

私も、郷里が近いから、田舎で同居を前提で嫁いできて、それを覆している状況は、それだけでプレッシャーになっていることは、分かるのです。

できることは、世間どうプレッシャーをかけようとも(世間は他所のことをそんなに関心持っていないのに、結構気にするタイプだったらしい)、長男夫婦、二男夫婦は、あなたを決して責めてはいない。
そのスタンスは、暗黙のうちに成立していたのに…。

ふーーーん。
伝わらなかったし、やっぱり長男、二男の妻が鬱陶しいのだろうか。

「私はあなたに救われた面がある」ということをどんな形で伝えたらいいのか。

彼女の20年を思うと、法事への出席、どうでもよくなりました。
彼女が癒えることが先決です。

私が救われたのは確かなのですから、それくらい受け入れなくてはなりません。
もっとリラックス、リラックスと伝えてあげたいけれど、結構彼女も、世間体を気にする一徹者なのかも知れません。
久しぶりに見た彼女は、お葬式のアレコレに意見があるようでしたから。
だから、なおさら、ツラカッタ、のでしょう。


※棺の周りで夜明かししたのは、長男夫婦と二男夫婦なのだけどなー。








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3 コメント

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少しわかったような気がします (とと)
2009-02-14 20:37:49
前記事の内容でわからなかった部分が,少し見えてきました.
3人おられるお嫁さんの立場やおかれた環境,またお姑さんの感じがなんとなくね.

こういうことって多かれ少なかれ,どこの家庭にもある話ですよね.
昔は兄弟も多くて,兄弟同士の相性もあるし,それぞれに配偶者ができて生活環境も違ってくれば,『きっとこう思ってくれているだろう』が通じないこともあると思います.

親戚付き合いだけではなく,ご近所やPTAや職場でもそういうことありますよね.

どこかにひとり空気読まない型破りな人がいて,ぶっちゃけトークを展開すると,壁が崩されて,本音が見えてくると思いま.ただ,崩された後にどうやってまた再構築するのかは問題として残りますけど.

返信する
ずっと、根底にこんな問題を抱えてきたので・・・ (街中の案山子)
2009-02-15 22:38:06
私が「自分の仕事を持つこと」にこだわってきた、という面があります。
仕事を持っていることで、「ヨメの勤め」の位置づけが相対的に小さくなるから。
家事だけが仕事だったら、この立場やっていられなかったのです。
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今頃の追加コメント。 (街中の案山子)
2009-03-12 12:02:58
昨日、福祉事業所と高齢者施設の自治会への寄付と、調理場の人たちへの謝礼をおくりました。二男個人として。母がいろいろお世話になったこと、こんな施設、こんな制度(介護保険)があったことが、どれだけ助かったか、という感謝の意味をこめて。
病院から施設への引越して2年。故郷から遠く離れて暮らしてきましたが、いくつもの施設を探し、尋ねたことで、私は嫌な思いはしませんでした。仕事をこなす専門家として、納得のいく対応をしてもらったと思っています。
仕事は人を育てるって、本当だなとも思いました。ヨメとか、義理の○○とか、故郷はいつも、そんなマイナスと結びついていたから、余り好きではありませんでした。でも、地元で働いている人たち(手術をしてくれたお医者さんも、介護関係者も女性でした)に接して、嫌な思いを持たなかったこと、そのことを嬉しく思いました。寄付金額を提示したら、多すぎるので、○万円の方が助かりますっていう会話が行きかうなんて、今どき素敵でしょ。
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