日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

う~ん、そうだね~。

2019-01-13 07:42:40 | 私の雑感あれこれ
たまたま講演会や研修会、セミナー企画に参加することがある。

(進んで参加するというより、さぼってはいけないだろう、の気持ちもある)

でも、参加した時は、話は聞く(当然、皆さんそうなのでしょうが)

で、この年齢になってくると、話運びの上手下手もわかってくる。

下手が必ずしも悪いのではない。慣れれば上手になるのだから、それは問題ない。

昨今は、始まる前のレジメが手渡されて、それにしたがって話が進行するから、板書も必要なく、ボールポンやマーカーをもっていって、資料にマークや書き込みをしながら聞くことになる。
(先回は、資料と一緒にボールペンまで配布されるという気配りまであった)

運営者側もマニュアルに従って進行させているのが分かる。
話が押してきて、時間に余裕がない時は、時間があまりありませんので、質問の受付はいくつだけ、とか、うまいものです。

いつもではないけれど、こんな質問をしてみたいな、という気分になっているときに、 ↑  のような言葉が入ると、私はやめてしまう。

「今日の講演は時間通りに収まって、上出来だった」と、安堵している役所側の担当者の心境を想像したりする。

なんだか、私の気分は下降する。

結局参加募集は行事のために集められた人ではないかと。

中味濃く、有意義にするには、どうしたらいいのかな~、とひとり(だけで  苦笑)考えたりする。


お正月に来た息子

短時間滞在で、話し込むこともなかったけれど、食事時の延長でワイワイ喋っていた話題の中で、

「最近講演したりもするようになった。でも、なんだか一方通行のように感じて、意味があるのかとも思うことがある」と。

そうなんだ~、聴く側のほうも、そう感じている、と言ったけれど、ワイワイ話の中だったから、それでおしまい。

なんだか、仕組みはできていても、有効性、効率は低いというのが実態のような気がしている。





今、ちよっと考えていることがある。

小さいことなのだけれど。
ただあてがわれたポストだから、そこにいる、というのではなく、関わらなくてはならない問題をスルーしていないか、網を投げてみるのも、役割かな、と思っているから。就任時にひと箱の名刺を手渡されたのに、全然活用もしていないし、、、。






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