週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

団体参拝説明会のご案内

2011-05-31 02:00:50 | 行事のご案内

本日午後2時より、親鸞聖人750回大遠忌法要の団体参拝に参加される方を対象にした説明会を、本堂にて行います。

参拝当日に使います鞄・靴袋・ネームカードをお配りしますので、参拝される方は説明会にお越しくださいませ。

     

さてさて、ここからは全くの余談です。
昨日の大河ドラマの話を受けて、過去のどの大河作品が好きなのかと質問を頂戴したので、そのお答えを少しばかり。

近年なら、『元禄繚乱』『篤姫』『龍馬伝』です。

子供ながらに強い印象が残っているのは、大原麗子主演の『春日局』
一番引き込まれたのは、渡辺謙主演の『独眼竜政宗』

ここらは20年ほど前(当時小学生)の作品ですが、最近の大河ドラマと違って、主人公が人間として誰もが持っている毒を隠すことなく表現していた作品なので、怖くもあり、人間臭くもあるドラマだったことが好印象でした。

しかしながら、渡辺謙の作品なら『御家人斬九郎』のほうが好き。
北大路欣也なら、『銭形平次』
村上弘明なら、『腕におぼえあり』
佐藤浩市なら、『隠密・奥の細道』
里見浩太郎なら、『八百夜町夢日記』

時代劇なら、『雲霧仁左衛門』(主演・山崎努)
別格は、『鬼平犯科帳』(主演・中村吉右衛門)です。

特に『鬼平犯科帳』は、高校時代に映画化されたので、終業式帰りに制服で観にいった記憶があります。(ちなみに両親も一緒に観賞)

と、ここまで書いては信じてもらえないでしょうが、別に時代劇好きでもマニアでもありません。
論文・小説・漫画・ドキュメンタリー・ドラマ・アニメと、ジャンルを問わずに何でも読んで見るだけの、雑食で悪食なだけ…。

けれど、龍くんが誕生してからは、だいぶ落ち着いてきました。
ジャンルに絵本が加わった分、悪食の余地がなくなったのかもしれませんね(笑)


大河ドラマの背景

2011-05-30 01:17:49 | ひとりごと

見れば、ついつい文句を言って、だったら見なきゃいいのに、ついつい毎週見てしまう。
そういうドラマ、ありませんか?

今の私にとって、それが『江~姫たちの戦国』にあたります。

    
言わずと知れた、今年のNHK大河ドラマ。
織田信長の姪にあたる浅井三姉妹の末妹・江を主人公に、戦国という世に翻弄されながら自らの人生を生きた姫たちと英雄たちの天下を揺るがす愛を描いた壮大なドラマ(らしい)。

このテーマにとやかく言うつもりはありませんが、それより今回は配役がいただけない。
第2話の時点で、6歳の江を24歳の上野樹里が、9歳の初を27歳の水川あさみが、10歳の茶々を37歳の宮沢りえが演じ始めたことで、学芸会を見ている気分に陥りました。
ちなみに36歳の徳川家康を67歳の北大路欣也が演じている…一度でいいから、史実通り信長より年下の家康を見てみたい。(信長役の豊川悦司は48歳)

6歳の江が秀吉に暴言を吐き、7歳の江を連れ回しながら国の未来を語り、江を思い出しながら本能寺で死んでいく信長。
9歳で家康と共に1日40キロを歩き伊賀越えに挑むが、最終的に野武士に捕まり京都に送られ、対面した明智光秀に説教する江。

その後もツッコミどころ満載なまま昨日の放送まで続いているのですが、この同じ時代に浄土真宗本願寺にも大きな動乱期が訪れていたことは、一般にあまり注目されない史実でしょう。

1570年、本願寺と織田信長との戦いが始まります。
世にいう「石山合戦」です。

各地で一向一揆が盛んになり、政治的にも軍事的にも力を強めていた本願寺の存在を無視できなくなった信長は、本願寺への敵対をあらわにします。
第11代御門主・顕如上人は門徒を挙兵し交戦、後に石山本願寺に篭城し、石山合戦は1580年に大阪退去を受け入れ和睦するまでの、10年に渡る戦となりました。

信長の死後、秀吉と和解し、1585年には大阪城近くに天満本願寺を建立。
1591年には秀吉より京都の七条堀川に寺地を与えられ、現在の西本願寺のある場所で教団を再興しました。

1573年に浅井三姉妹の父・浅井長政が信長に破れて浅井氏滅亡、1583年に浅井三姉妹の母・市が再婚した柴田勝家も秀吉に破れ、市と共に自害。
昨日の放送で、茶々が秀吉の側室になったようなので、だいたい1588年頃と推察。

こんなふうに、大河ドラマの影には、浄土真宗もまた大きな時代のうねりの中で形を変えながら、法灯を伝えていくために戦い、奔走したという、見ることのないドラマがあるのです。


…にしても、やっぱり酷評したくなるなぁ。
恋愛系に特化した大河でも、『篤姫』が良かっただけに、ただただ残念。


仏教壮年会総会・懇親会

2011-05-28 02:36:01 | 行事のご案内

昨日は最乗寺を会場に、神奈川組仏教壮年会の総会と懇親会が開催されました。
組内のご門徒さんから60名弱の参加申込みがあり、お迎えする側としても気合が入ります。

    
まずは始めに『讃仏偈』の勤行です。
そして、仏壮の会長、神奈川組の組長(そちょう)のご挨拶と続きます。
    
総会では、前年度と今年度の事業報告や予算・決算などが話し合われました。
昨年は神奈川組の親鸞聖人七五〇回大遠忌のお待ち受け法要があり、仏壮の方々のご尽力が法要を成功へと導いてくださいました。

休憩を挟み、宣正寺ご住職・早島大英師による『歎異抄』の研修会です。
今回は『歎異抄』の後序についてのご講義。
    
参加された方々は、皆さんメモを取りながら真剣にお勉強されていました。

さてさて、研修会も終わり、閉会の辞が述べられた後は、一部の方々にとってのメインである懇親会の始まりです。
    浄明会館の2階が会場です。

途中、龍くんと乱入してきましたが、とても温かく迎えて入れてくださいました。
皆さんの笑顔に、優しい気持ちが伝わったのか、龍くんもご機嫌でニコニコしながら走り回っていました。

閉会式にて、組長さんのお話の中で、阿弥陀さまの【本願】について触れられました。
【本願】の【本】には、「もともとの」という解釈があるとのこと。
「もともとの願い」とは、私たちが生まれるずっとずっと前に、「すでに願われていた」ということです。

私たちは、量り知れないほどの昔に、阿弥陀さまが私たちのことを思い誓われた願いの中に、共に生まれてきました。
同じ願いの中に生まれてきた者が、ここにこうして集い、その願いを聞かせていただくご縁を共にする一時(ひととき)を、私も一緒に味あわせていただきました。
そして、そのような有り難い場所に最乗寺がならせていただいたことを、とても嬉しく思っています。

皆さんが笑顔でお帰りになっていく姿に、私たちも笑顔を頂戴してお見送り。
素敵な時間をありがとうございました。


どうか消えないで

2011-05-27 01:49:48 | ひとりごと

昨日の記事の通り、携帯電話を機種変更したのですが、時間があると変更前の携帯のデータをなんとなく見てしまいます。
すると、受信メールのフォルダの中に、消えないように保護されたメールが何通かあり、その中に大学院時代の先輩から送られたメールが保存されていました。

「俺は笑いながら死にたいんだ」
「事故でも病気でも、どんな死に方だったとしても、俺は生き切ったんだと、後悔せずに笑いながら死を迎えられるように生きていきたいんだ」

飲み会の席で、先輩が言った言葉を今でも覚えています。
そして、そう言った先輩は、3年前に亡くなりました。

突然の訃報に驚きながらも、ふと先輩が最期に笑えたのかが気になりました。
軽度のうつ病を抱えていて、笑うに笑えない状況で。
生まれたばかりの女の子と、4歳の男の子を残して、笑うに笑えない状況で。
それでも、家族と過ごした最期の夜に、笑っていたという話を聞いて、初めて涙が溢れました。

先輩が亡くなった月に、送られてきたメールが私にとっての最期の言葉。
保護されていたメールには一言

「元気?」

とありました。
元気ではなかった私は、そのメールに返信をしませんでした。
そのことが、今も私の心に鈍い痛みを残しています。

『あかり-donationmusic ver.-』という曲があります。(動画はこちら・歌詞はこちらをクリック)

この曲は内閣府「いのち支える(自殺対策)プロジェクト」キャンペーンソングで、この曲をダウンロード購入すると、その収益のすべてが一般社団法人 日本いのちの電話連盟、国際ビフレンダーズ 東京自殺防止センターへ寄付されます。
楽曲はレコチョク、musicoほか主要携帯サイト、iTUNESほかPCサイトにてダウンロード購入できます。

先輩の死は、私が必ずしも残される立場になるわけではないということを教えてくれました。
誰を傷つけようとも、それ以上の苦しみがあり、自ら誰かを残していく立場になるということを教えてくれました。

「あなたが大事」

そう仏さまに願われている、この命を、捨ててしまいたいと思ってしまうかもしれない苦しみに出遇うときがくるのかもしれません。
そのとき、私が流した涙よりも、さらに深い悲しみから溢れる涙があることに、気づけたらいい。
ありのままの自分を、そのまま受け入れてくれている喜びを、思い出せたらいい。

  「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ
       涙は涙をそそがれる涙にたすけらる」    金子大栄 『歎異抄領解』

私のために、涙を流している仏さまのことを、忘れなきゃいい。


温故知新

2011-05-26 02:55:54 | ひとりごと

ワタクシ事ですが、携帯電話を機種変更しました。(左・折りたたみ→右・スライド)

     

驚くべきことに、4年ぶりの機種変です。

もともと1台を長く使う傾向にはありましたが、それでも3年くらいが過去の記録。
それを更に1年更新してしまったようです。

買い換えたいと思える機種が見つかるまで、妥協を許さずひたすら待ち続けるのが原因。
本当はまだ使えるかなと思っていたのですが、あまりに長く使っていたので、契約している携帯の会社から、近々この機種自体のサービスが終了するとの通知が来てしまいました。
そのうえ、無料で提供してくれる携帯電話まで紹介される始末。

これはもう潮時と悟り、携帯ショップに通い、妥協できる携帯電話を探して、何とか機種変をしてきました。

考えれば、前の携帯電話は副住職と知り合う前から使っていました。
満杯のデータフォルダの写真を見ると、若かりし頃(笑)の家族や友人たちの笑顔に出逢えます。

独り身は身軽で気軽で、思い立ったらどこへでも足を伸ばせるもの。
奈良の長谷寺、富山の宇奈月温泉、京都の夜景、箱根の山々、新潟の中越沖地震の被災地、夜中のファミレス、美術館に博物館…。
結婚前の1年間の写真には、今の日常にはない光景が溢れています。
けれど、そんな非日常を過ごすことのできた日々を懐かしく思っても、今の日常を写した写真が与えてくれる微笑みには敵いません。

変わることを悲しむのではなく、変わることのできることを喜ぶということ。

4年分の写真を見て、そんなことを思ったりしました。

さてさて、次の携帯電話は何年使うかな。
悩んだ末にスマートホンにしなかったのですが、数年後にはスマートホンしかなくなって、またサービス終了の通知が来たりして(笑)