週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

ハクモクレンと馬酔木

2011-02-28 01:27:33 | ひとりごと

暖かな日曜日のこと。

   

境内のハクモクレンの枝の先すべてに、丸々としたシルエットが…。

   ぷっくりとした蕾がついています。

ハクモクレンは桜と同じで、葉が出る前に花だけが咲く樹。
もうすぐ真っ白な花に包まれたハクモクレンを愛でることができそうです。

ハクモクレンの根本には…。

   馬酔木です。

   「あせび」と読みます。

スズランのように可愛らしい花ですが、実は中毒死することもあるという有毒植物。
「馬酔木」という名は、馬がこの植物を食べると足がしびれ、酔ったようになるところから付けられたと言われています。

しかし、毒を持つ葉も煎じることで殺虫剤となり、近年では自然農薬として利用する試みがなされているようです。

同じ毒でも、使い方次第で有効利用ができ、私たちに恩恵をもたらすものへと変化する。

…そう結ぼうと思ったのですが、これは植物の自己防衛のための毒を、人間が積極的に使って虫を殺すということなんだと思うと、恩恵というには傲慢なものを感じたのでやめました。

それにしても、同じ毒の成分によって、馬が死ぬか、虫が死ぬかで、こうも印象が違うのはなぜでしょう。

その問いを自らに向けたとき、【自分】に【害】が【あるか】【ないか】という自分を中心に据えた価値基準で判断していることに気づき、立ち止まっていくことが、浄土真宗の念仏者としての道なのではないかと思っています。

さて、いつものように蛇足に続きますが、最乗寺から車で10分弱の住宅地に「馬酔木」というトンカツのお店があります。
少々お値段は張りますが、味は抜群。
私も独身時代、記念日にご馳走したりして舌鼓を打ちました。
(※「ご馳走された」ではありません・泣)

こんなところにこんなお店があるんだと、外食のお店リストに加えてみてはいかがでしょう。


築地で会議

2011-02-26 01:42:57 | ひとりごと

昨日は会議に出席のため、築地本願寺に行ってきました。
龍くんを副住職に預けての外出です。

  

私は東京タワーを真正面に見ることのできるこの道を好んで通ります。
たぶん、スカイツリーより東京タワーのほうが好きなのかも…。
スカイツリーは、なんとなく上海や台湾にありそうなシルエットだからかな。

会議は、お坊さん向けの研修会に関するものです。

私は東青僧(東京教区青年僧侶協議会)の社会部に所属していて、今回は社会部の企画・発案による研修会が4月にあり、その進行状況の確認などについて話し合いました。

実質的に活動している女性会員は少なく、6年目を迎える私は古参の部類に入ってしまいました。
けれど、子持ちの女性はもう一人いるので、とても心強い存在です。

大勢の若いお坊さんの中にいると学ぶことも多く、それぞれの言葉に刺激をいただく貴重な時間なので、これからもできる限りは出席していきたいと思っています。

そのためには家族の協力が必要不可欠。
旦那さま、来月の会議も出たいのですが…よろしいでしょうか?(汗)


発送準備中

2011-02-25 00:59:13 | 近況報告

ただいま、住職と副住職が春の発送物の封かん作業をしています。

  

寺報もなんとか完成しました。

     

…相変わらず文字の洪水です。
けれど、無駄なことは書いてないので、隅々まで読んでいただけると嬉しいです。

さて、今回の発送物の内容は…

4月の最乗寺永代経法要のご案内
5月の初参式のご案内
よろこび 春号
寺報 【最乗寺だより】   などなど

明日には佐川急便さんに託すことができそうなので、近日中に皆さまのお手元に届くはず。
今回は誤字脱字に細心の注意を払ったのですが、その目をかいくぐった間違いが見つかるかもしれません。
そのときは、ご一報くださいませ。

ちなみに前号の寺報の誤字は、お経の会の開始時刻を「午前2時」と書いたこと。
丑三つ時のお経の会も、それはそれで趣があるかもしれませんが…参加はしたくないですよね(笑)


不便な便利性

2011-02-23 00:49:18 | ひとりごと

【コンビニエンス】という単語が【便利】という意味だと知ったのは、高校生のときだ。

四半世紀と数年という時を振り返って考えても、世の中、便利になったなぁと、至るところで思ってしまう。

この目で見ることも、この手で触れることもなく。
あらゆる現実と思わしき情報を、コタツに座りながらにして手に入れている。

コンビニの24時間営業が当たり前になり、スーパーの深夜営業も珍しくなくなった。
欲しいものが、欲しいときに手に入る。
身近で手に入れられないものも、ネットで探せば手に入る。

それら全てが便利になったなぁと思うことではあるけど。
じゃあ、小さい頃は不便だと感じていたかと言えば、そうでもない。

それは不便ではなく、当たり前のことだったから。
今では不便と思うことでも、そういうものだと受け入れていたと思うから。

便利になるということは、時間にゆとりができるということだと思ってた。
便利になった分、一つ一つに割く時間が短縮されて、余裕が生まれるはずだった。

けれど、実際は生まれた時間のゆとりのなかに、更なる便利を詰め込んでいた。
結局、時間にゆとりが、あるのかないのか、よく分からない。

そして、便利であることに慣れると、便利でないものが許せなくなっていた。
不便なことに割く時間は無駄なものと、切って捨てる。
切れないものには、怒りを感じる。
便利になる前は、当たり前のことだったはずなのに。
その時間を、楽しむ余裕はどこにもない。

なんとなく、心のゆとりも失われていくような気がした。

便利であるがゆえに、生まれるゆとりもあるだろうが。
便利であるがゆえに、奪うゆとりもあるのだろう。

【便利】とは【自分に都合の良いこと】という意味らしい。
それなら、自分にとって都合の悪いことは楽しめまい。

主体となるのは、いつだって自分。
便利と思うのも、不便と思うのも、すべて自己中心であることから生じる思い。
切って捨てるのは自分だけど、誰かに切られて捨てられている自分もいる…。

いろんな自分を知ることで、生まれるゆとりもあるかもしれない。

ちなみに、【ゆとり】も【余裕】も、その意味を持つ英単語を、この歳になっても知らなかった。
電子辞書を引くと、複数の単語が表示され、どれが即しているのかも分かりづいらい…全くもって不便である。


五里霧中

2011-02-19 01:03:20 | ひとりごと
ちょっと間が空いてしまいました。

その間、雪が降ったりもしましたが…。

     坊守(母)作。 解けて絶妙なバランスに。


さてさて。
コラムが1本片付いてホッとしていたら、寺報を作るのをすっかり忘れていました(汗)
3月に発行するもんだと勝手に思い込んでいて…いったい何年作り続けているんだか。

というわけで、これから必死になって作成します。

うーん、表紙の記事は何書こうかな。
リクエスト受付中(笑)