週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

灼熱の大陸

2010-07-28 23:27:50 | 寺報記事

 ≪寺報【最乗寺だより】 2010年春号 表紙記事より≫


数年前のことですが、「平和と仏教」という講演を聴きに行きました。

泥沼化するアフガン情勢、先の見えないパレスチナ問題。
利権を宗教の影に隠しつつ、その宗教観の違いによる宗教間の諍いが、絶えず世界を巡っているという状況において、仏教の示す平和への道筋をお話いただくという趣旨の講演会でした。

ところが、肝心の講師は前日に南極から帰国されたばかりだったため、講題を無視して、南極の危機迫った現状を実感の伴った思いを込めて語り始めました。


オゾン層が破壊され、宇宙からの紫外線が、南極を灼熱の大陸へと変えていっています。
氷が融けるということは、ただ海面が上昇するだけはありません。
海水は塩分を排出しながら凍り、出された塩分は沈んで、深層水となって海流を生みます。
南極の氷が融けるということは、大量の淡水が海水と混ざることで、そうすると海流は変化し、気候も変化します。
南極は地球の温度調整機能を具えているのです。


そう、講師は話されました。
そして、不動と思えた氷の大陸が、崩れ落ちてゆくところに諸行無常を見たとも話されました。

全てのものは変わりゆく無常のものです。
けれど、その無常にも必ず原因があり、南極の融ける氷のその先には、私の快適な生活があるということを教えてくださったこのときの講師は、立松和平さんでした。

立松さんの訃報に、人の命もまた無常であることを、改めて教えていただいたような思いが致します。
                                           合掌


     (2月8日の立松和平氏逝去の報道にふれて)


初盆会合同法要

2010-07-26 00:31:56 | 近況報告

昨年に続き、2回目となる最乗寺初盆合同法要が勤修されました。

7世帯、50名以上の方にお参り頂きました。
中には1歳のお子さんから、上は80歳前後の方まで、4世代でお参り下さったご家族も…。
お寺が、なかなか揃うことのない家族の全員集合する場となっていることを実感するたび、嬉しく思います。

法要は全員で【正信念仏偈】をお勤めした後、住職・副住職による法話がそれぞれ10分程度。
本堂が暑いこともあり、皆さんの体調も考え駆け足で進め、なんとか1時間15分程で収めることができました。

10年前は最高気温が35度という数値を見ることはありませんでしたが、今では日常的になってしまったようです。
法要をお勤めする場は、やはり本堂であるべきとは思いますが、熱気で気分を害されたり、小さなお子さんが参加できなかったりという弊害があるのも事実。
あまりに大人数の方が参加される場合に限っては、冷房のある浄明会館でお勤めすることも視野に入れなくてはならないと、今回の法要を振り返り考えました。

何はともあれ、猛暑の中お参りいただき有り難うございました。
今日のご縁が、次の仏縁の華を咲かせる因となることを願っています。


法事の有り様

2010-07-25 01:21:26 | 近況報告

夏休みに入ったせいか、法事にお参りされる方の人数が増えました。

今日の一周忌法要には30名。
明日の個別の新盆法要には37名。

一件の法事とは思えない人数ですが、それが稀になってしまったのは近年のこと。
以前は、それこそ冠婚葬祭でしか会うことのない親類が、一堂に会することのできる場として、法事が営まれていたという側面が際立っていたように思います。

「身内だけで…」

往生された方を、身近で接してきた家族だけで偲びたい。
その気持ちは分からないわけではありません。
縁遠く、何年も会っていなかった親戚がいては、水入らずに話すこともままならなず、居心地の悪い思いをすることもあるでしょう。

それでも、その人と自分は、往生された方を通してつながっています。
法事という場に呼ばれるご縁がある人すべてが、お浄土に還られた方が残していっくださったご縁でつながっているのです。

自分が亡くした大事な人のご縁を、大切に大切に辿っていく。
大事な人が、どんなつながりの中で生き、死んでいったのかということを見据える。
そこで、自分の知らなかった新たなご縁の華が、開くこともあるかもしれません。

法事は往生された方のためだけにするものではありません。
一生懸命生き切った1人の生涯を見つめ、その上で私たちが真っ直ぐ前に進むために営まれるものでもあるのです。

おかげさまで、最乗寺の本堂・客殿は大人数に対応できるだけの広さがございます。
法事をされる際は、どうぞ多くの方に声をお掛け下さい。
小さいお子様には、お菓子の詰め合わせもお配りしておりますので、合わせてお声がけ下さいませ。

明日は初盆合同法要です。
皆さまのお参りをお待ちいたしております。

 


初盆会合同法要のご案内

2010-07-22 23:46:36 | 行事のご案内

昨年より、7月のお盆より前の一年の間に往生された方への初めてのお盆の法要を、最乗寺の本堂にて合同でお勤めすることに致しました。

今年は7月25日(日)、 午後2時より開催致します。

該当されるご家族の元には、ご案内のお手紙を送付をしておりますので、再度ご確認下さいませ。

今年の法要は、ご連絡いただいている人数だけでも50名以上になりました。
広さを考慮して、本堂にお入りいただく分には問題はないのですが、本堂に籠もる熱気で気分を悪くされる方がいらっしゃるのではと、少々心配しております。
扇風機は回っておりますが、濡れタオルのご用意や、上着をあらかじめ脱いでおくなどの対策をしていただくことをお奨め致します。

猛暑でなかなか足が外に向かないことと思います。
そのような状況で、最乗寺においで下さることは、何よりの僥倖でございます。
冷たい麦茶とお菓子を用意して、皆さまのお参りをお待ちいたしておりますので、どうぞお気をつけてお越し下さいませ。


誤るという前提

2010-07-19 03:42:22 | 寺報記事

  ≪寺報【最乗寺だより】 2010年夏号 表紙記事より≫


スペインの優勝で幕を閉じたサッカーワールドカップ。
日本代表の善戦に列島が熱狂したことは記憶に新しいことと思います。

今大会で印象に残る場面はいくつかありますが、中でもイングランド対ドイツの試合中に起こった「疑惑のゴール」については考えさせられるものがありました。

イングランドの選手が放ったシュートが、ゴールポストに当たり、ゴールライン内にバウンドしたことで得点が入り、同点となるはずでした。
しかし、それを見ていたはずの副審がノーゴールと判断したため加点がされず、結局イングランドはその後も点を取ることができず4対1で敗退。

この判定について、すでにFIFAの会長が誤審だったことを認め謝罪していますが、このような誤審は今回が初めてだったわけではありません。
なのに、映像による確認がなされない要因の一つに、サッカーはその長い歴史の中で「誤審はある」という前提で行われてきたスポーツだったからだという解説がありました。

人間が下す審判が、完璧ではないということを踏まえた上で成立したスポーツ。
間違ってはいけない。
けれど間違うこともある。
それでもその間違いに立ち止まらず、振り切るようにゴールへと踏み出す選手達の姿に、自身の間違いは棚に上げ、相手の間違いばかりを責めている、都合の良い自分の姿が見えてきました。

「誤審はある」という前提は寛大なようでもありますが、自分が常に正しいわけではないということの前提でもあるということです。
肝に銘じておかなくてはなりませんね。


  (時事ネタのため、早めに投稿しました)