週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

祝婚歌

2011-01-30 00:06:00 | 近況報告
昨日、神奈川組・宝円寺のご長男の結婚式があり、住職と副住職が披露宴へのご招待にあずかりました。

地上29階で行われた披露宴は、眺めもさることながら、お二人の門出を祝福する温かな雰囲気と、互いを想い合う優しい空気に包まれた会場だったようです。

私は新郎とは数回お会いしたことがあるのですが、新婦となられた方とは面識がありません。
けれど、今後坊守としてお会いする機会がいっぱいありますので、今から楽しみにしています。

では、お二人のご結婚を祝して、陰ながらこの歌を贈らせていただきたいと思います。



  「祝婚歌」   吉野 弘


    ふたりが睦まじくいるためには
    愚かでいるほうがいい
    立派すぎないほうがいい
    立派すぎることは
    長持ちしないことだと気づいてるほうがいい

    完璧をめざさないほうがいい
    完璧なんて不自然なことだとうそぶいているほうがいい
    ふたりのうちどちらかが
    ふざけているほうがいい
    ずっこけているほうがいい

    互いに非難することがあっても
    非難できる資格が自分にあったかどうか
    あとで疑わしくなるほうがいい
 
    正しいことを言うときは
    少しひかえめにするほうがいい
    正しいことを言うときは
    相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい

    立派でありたいとか
    正しくありたいとかいう
    無理な緊張には色目を使わず

    ゆったり
    ゆたかに
    光を浴びているほうがいい

    健康で風に吹かれながら
    生きていることのなつかしさに
    ふと胸が熱くなる
    そんな日があってもいい

    そして
    なぜ胸が熱くなるのか
    黙っていても
    ふたりにはわかるのであってほしい


                    『贈る歌』(吉野 弘著,花神社)より「祝婚歌」全文を転載
                          (吉野弘氏のこの作品のみ著作権の発生なし)


…あれ?
これは幸せ絶頂なお二人にではなく、今の私たちに必要な歌なのかも…(汗)
あの頃を思い出せ、私っ!!

世話人会議

2011-01-29 00:03:32 | 近況報告
昨日は午後3時より最乗寺の世話人会議がありました。

ではでは、皆さまが来られる前に客殿のしつらえを整えましょう。

  

境内に咲いている水仙が、坊守(母)の手に掛かると…。

  

客殿を静かに彩る華へと姿を変えました。

 

水仙の左の枝花は蝋梅(ろうばい)です。
その名の通り、ロウソクの素材で出来たような質感を思わせる、一風変わった梅の花です。

小さい頃は、「ろうばい」と聞いても漢字の変換が出来ず、「老梅」だと思っていました。
なんとなく「梅のおばあちゃん」という印象を持っていたのを覚えています。


さて、世話人会議のほうですが、今年度の事業報告と来年度の事業計画についての会議がされました。

今年度は、神奈川組の親鸞聖人七五〇回大遠忌お待ち受け法要が、川崎の文化会館で執り行われたことに始まり、最乗寺でも初めての初参式を開くなどの、さまざまなご縁に溢れる1年となりました。

来年度は、やはり本山での親鸞聖人七五〇回大遠忌法要への団体参拝旅行(6月)が一番の大行事になることでしょう。
また、8月より神奈川組の連続研修会が始まる予定に加え、初参式を常例法要にする計画も推進中です。

今回の会議で形になった計画は、3月に送付予定の寺報と、同封のご案内用紙などでお知らせいたしますので、どうぞお待ちくださいませ。

世話人の皆さま、お忙しい中お越しいただき、誠にありがとうございました。
今後とも、最乗寺へのお力添えをよろしくお願いいたします。

春の梅

2011-01-26 01:39:38 | ひとりごと

午前中、晴天に誘われて、坊守(母)と龍くんのお散歩に出かけました。

工事が中断している新中原街道をテクテク歩き、勝田町内をトコトコ歩いていると…。





ぬけるような青空に映える白梅の美しさに、思わず足を止めて見惚れてしまいました。


       生かさるる

      よろこびにほふ

      春の梅

               中村久子


最乗寺の掲示板に貼られている1月の法語です。

冬から春への移ろいを、最初に教えてくれる梅の花。
厳しい寒さの中で、花を咲かせるその姿に、どんなにつらくとも「今」「生きている」ということを純粋に喜ぶ心を覚えます。
そして、私を包み込む温かな陽射しが、私を見守り支えてくれている優しい眼差しの存在に気づかせてくれると同時に、「生かされている」という実感を教えてくれます。

匂い立つ梅の香りに、人生の足も少しだけ止めたお散歩でした。


月のうさぎ

2011-01-25 01:29:31 | 仏教小話

月にはウサギが住むという。  

それは誰もが耳にしたことのあるお話。
けれど、なぜそう言われるようになったかまでは、耳にする機会も少ないことでしょう。

「今は昔…」で始まる『今昔物語』(1077年・平安末期)の第五巻第十三話に、【三獣行菩薩通兎焼身語】というお話があります。


その昔、天竺に我が身を忘れ、他を哀れむという菩薩の心を持つための修行に励む、サルとキツネとウサギがいました。
あるとき、3匹は行き倒れた老人に出会います。
サルは木の実を、キツネは魚を、それぞれの特技を生かして手に入れ差し出しました。
しかし、ウサギは何も手に入れることができません。
するとウサギは、サルとキツネに頼んで起こしてもらった火の中に自ら飛び込み、我が身を老人へ差し出しました。
その様子を目の当たりにした老人は、帝釈天という仏教の守護神である元の姿に戻ります。
帝釈天は、日頃の3匹の立派な行いを見て、彼らの本心を試そうと、老人の姿で3匹の前に現れたのでした。
帝釈天は、ウサギが命を掛けて示した心がけと行為を後世にまで残そうと、ウサギの姿を月の中に移します。
いま、月の表面にウサギの姿が現れて見えるのは、我が身を燃やした炎から上がった煙が、月に映した影だということです。


こうした説話がもとに、月に住むウサギのお話が現代にまで伝わってきたのですが、この説話は日本で生まれたものではありません。

元を辿ると、『西遊記』の三蔵法師のモデルにもなった、玄奘三蔵という中国の僧侶が記した『大唐西域記』(645年)にあり、現在のインドのベナレスにあった仏塔の由来を記した箇所に、月のウサギの説話が登場します。

そして、さらに辿れば、『本生譚』という仏典に到達します。
この仏典は、お釈迦さまの前世(ジャータカ)の物語を集めたもの。

それは、お釈迦さまがお釈迦さまとして誕生するまで、生まれ変わり死に変わりを繰り返した、幾つもの前世の修行者としての物語です。
七仏通誡偈でも書きましたが、あまりに偉大であったお釈迦さまのお悟りは、お釈迦さま一代で開かれたものであるはずがないという考えが生まれます。
そして、過去に富める者や貧しい者の生、動物の生に至るまで、いろいろな苦しみを知り、さまざまな徳を積んでいたからこそ、お釈迦さまとして生まれた生で、悟ることができたのだと考えられたのです。

つまり、この説話のウサギは、お釈迦さまの前世の一つということ。

ちなみにジャータカでは、ウサギは死なずに、その行いを讃嘆し広めるため帝釈天が山を掴んで絞り出た汁で、月にウサギの姿を描いたとあります。

さらに付け加えると、月とウサギは古代中国の彫刻や、弥生時代の土器にも見られるようなので、ジャータカにのみ由来を求めるのは尚早ということで、ご注意を。

さてさて、なぜ今回は月のウサギの話になったかというと…。
先日の仏壮の研修会で、歎異抄第十八条をテーマにした講義のレジュメに、月のウサギ(ジャータカ・バージョン)が載っていたのを読んだから。(住職と副住職が出席)

…相変わらず、私の着眼点は主体からズレるようですね。


胃にやさしい仏像

2011-01-22 01:46:08 | 仏教小話

以前書きました胃痛の件ですが、なかなか治まらず、それなら念のためということで、人生初の内視鏡(胃カメラ)検査を受けてきました。

「苦しいよぉ」という家族の応援を背に家を出て、恐る恐る診察台に横になったのですが、眠くなる注射を打たれ、即爆睡。
気がつくと、ベッドの上で点滴を受けた状態でした。
どうやら最近は、眠っているうちに検査をしてしまう方法が主流のようです。

結果は、特に問題視する所見はなし。
ただ4、50代にみられる胃の収縮があるとのこと。
胃が疲れているようだから、ご飯はよく噛んで食べましょうとのアドバイスをいただきました。

…三十路の私には、胃の状態もさることながら、いつも子供に言っている言葉を言われてしまうという、ちょっとショックな診察結果でした。


さて、今回受けた内視鏡検査ではなく、X線検査によって、胎内の内臓(五臓六腑)が発見された仏像があるのをご存知でしょうか。

それは京都嵯峨野にある清涼寺のご本尊、「三国伝来の釈迦像」です。

          (仏像画像データベースより)

清涼寺は987年(平安時代)に創建されたお寺で、然(ちょうねん)という東大寺から出た僧侶が開基となっています。
然は、中国(宋代)に渡ったときに1体の釈迦像と出会います。

その釈迦像は、お釈迦さまのご存命中、優填王という人物がお釈迦さまの37歳のお姿を、栴檀という香木に彫らせて作られたものでした。
インドより、ヒマラヤを越えて中国へと渡ってきた釈迦像に感銘を受けた然は、その像を模刻し日本へと持ち帰り、安置するために清涼寺を創建したといいます。

そして、昭和28年の調査によって、胎内に様々な納入品があることが判明。
その中に、模刻したときに5人の尼僧によって納められたとされる、絹で作られた内臓の模型がありました。

仏像に内臓が納められたのは1000年以上も前のこと。
その当時、既に中国では五臓六腑の形が明確にされていたほどの解剖学があったということに、改めて驚きを感じます。

しかし、お釈迦さまを始め、仏に備わっているとされている身体的な特徴「三十二相八十種好」によれば…。

 四十歯相 ― 40本の歯を有し、それらは雪のように白く清潔である。(常人は32歯)
 歯斉相 ― 歯はみな大きさが等しく、硬く密であり一本のように並びが美しい。
 牙白相 ― 40歯以外に四牙あり、とくに白く大きく鋭利堅固である。

……これならきっと、絹製の内臓であろうと、何を食べても負担がないほど噛み尽くすことでしょう。