昨日の記事の通り、携帯電話を機種変更したのですが、時間があると変更前の携帯のデータをなんとなく見てしまいます。
すると、受信メールのフォルダの中に、消えないように保護されたメールが何通かあり、その中に大学院時代の先輩から送られたメールが保存されていました。
「俺は笑いながら死にたいんだ」
「事故でも病気でも、どんな死に方だったとしても、俺は生き切ったんだと、後悔せずに笑いながら死を迎えられるように生きていきたいんだ」
飲み会の席で、先輩が言った言葉を今でも覚えています。
そして、そう言った先輩は、3年前に亡くなりました。
突然の訃報に驚きながらも、ふと先輩が最期に笑えたのかが気になりました。
軽度のうつ病を抱えていて、笑うに笑えない状況で。
生まれたばかりの女の子と、4歳の男の子を残して、笑うに笑えない状況で。
それでも、家族と過ごした最期の夜に、笑っていたという話を聞いて、初めて涙が溢れました。
先輩が亡くなった月に、送られてきたメールが私にとっての最期の言葉。
保護されていたメールには一言
「元気?」
とありました。
元気ではなかった私は、そのメールに返信をしませんでした。
そのことが、今も私の心に鈍い痛みを残しています。
『あかり-donationmusic ver.-』という曲があります。(動画はこちら・歌詞はこちらをクリック)
この曲は内閣府「いのち支える(自殺対策)プロジェクト」キャンペーンソングで、この曲をダウンロード購入すると、その収益のすべてが一般社団法人 日本いのちの電話連盟、国際ビフレンダーズ 東京自殺防止センターへ寄付されます。
楽曲はレコチョク、musicoほか主要携帯サイト、iTUNESほかPCサイトにてダウンロード購入できます。
先輩の死は、私が必ずしも残される立場になるわけではないということを教えてくれました。
誰を傷つけようとも、それ以上の苦しみがあり、自ら誰かを残していく立場になるということを教えてくれました。
「あなたが大事」
そう仏さまに願われている、この命を、捨ててしまいたいと思ってしまうかもしれない苦しみに出遇うときがくるのかもしれません。
そのとき、私が流した涙よりも、さらに深い悲しみから溢れる涙があることに、気づけたらいい。
ありのままの自分を、そのまま受け入れてくれている喜びを、思い出せたらいい。
「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ
涙は涙をそそがれる涙にたすけらる」 金子大栄 『歎異抄領解』
私のために、涙を流している仏さまのことを、忘れなきゃいい。