国分一太郎 【教育を追う】「改革」私の意見-1
国分一太郎は、1984年に東京学芸大学で、特別講義「生活綴方と昭和国語教育史」を8回にわたって行っています。私は、そのビデオを何度か聴き直し、また見直しをして、文字に再生しています。すでに6回までの分は、文章化ができて、それを国分一太郎「教育」と「文学」研究会の紀要にも紹介しています。
現在進行中の、8回目の「国民学校令と教育・国語教育」の講義の中で、「私は、この間、毎日新聞に5日間ばかり、『教育改革への意見』というのを聞かれ、小さな記事が載っています」と話をしていました。
この講義は亡くなる前年に行われています。講義のまとめにあたる部分の話です。最後に、どんな思いを語っていたのか、興味があったので、国会図書館で資料を調べてもらいました。そして、そのコピイを送っていただきました。
それを読んで、国分一太郎の「遺言」ともなる発言だと思ったので、連休中、打ち出しました。
【教育を追う】「改革」私の意見〈54〉―
物足りぬ教基法
国分 一太郎①
国分一太郎(こくぶん・いちたろう)児童文学作家。日本作文の会常任委員。昭和5年、山形師 範卒、小学校教師として生活綴方運動を推進。戦後も作文教育を指導した。著書に「教師」(岩波書店)「しなやかさというたからもの」(晶文社)「国分一太郎文集」(新評論)など。73歳。
(1985年〈昭和60年〉2月11日没)
――戦前、生活綴方・生活教育運動をされて軍部ににらまれた国分さんとしては、戦後の新しい教育を、さぞ歓迎されたことでしょう。
「そりゃあ、もう。戦前は皇国民に育てるため、子どもの自由な精神を抑圧する教育でいたからね。戦後の新教育では平和で民主的な文化国家を築くために行うというのだから大いに喜びました。しかし、新しい教育方針に気にくわない点もありました。」
――どの点ですか。
「一つはアメリカ流の教え方を押しつけたことです。“なすことによって学ぶ”という経験主義、知識より経験が大事だという考えでした。これには私は反対でした。例えば国語の場合、読む、書く、話す、聞く、をしっかりやれば日本語は身につく、というものでしたね。たしかにそれも大事だが、同時に日本語の知識、つまり文法、文字、発音などを、きっちり教えないと、正しい日本語は身につかない、と主張したのです。もう一つは教育基本法です」
――どこが問題なのですか。
「むろん全体的には良いと思います。でも私は教育基本法のここが気に入らないんです。第一条の『平和な国家及び社会の形成者として……国民の育成を期して……』。この“形成者”というところですな。なんだか子どもに平和的な国家を作ってもらうのを期待しているみたい。大人ががんばって平和な文化国家を作る。その過程で子どもを(平和的な国家の)後継者に育てるべきなのに。
そのためには子どもに真理、真実を教え、基本的人権とか平和とは何かを教え、自分の人生観の基礎を育てる教育に力を入れるべきです。
中曽根さんは六三三の学校の区切りを見直すようなことを言っているようでありながら、実は戦後教育の基本である非軍事的、民主的な自由な人間的自覚を持たせることを嫌って、何とかしたいと思っているのではないですか。」(つづく)
1984年(昭和59年)7月10日(火曜日) 毎日新聞