ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

山田ときさんを偲ぶー7        新入のころ

2016-05-04 10:57:05 | Weblog

                       山田ときさんを偲ぶー7

 

 

新入のころ

    四月〇日

 七十二人の受け持ちになって第二日目。常には、着物や、身のまわりのことなどには気をとめていられない農山村の母たちが、入学当初ばかりも、との心づかいなのだろう。みんな、よそ行きらしい着物をつけていた。そのころは、かなり田舍に入つても探さないと見られな いような、前髪下げた桃割姿の子もいれば、赤いよそ行着に、とき色のネルの前かけをさせ られた子もいる。物珍しそうに、キヨトキヨト、友だちのようすを見ている子もいれは、どろどろと鼻汁を流した子、それがもう乾いて、かさかさになり、ニ本のレールがならんでい る子もいる。かと思うと、オカツパ頭で、ランドセルを背負つた女の子、ま新しい金ボタン の洋服に、革のランドセルの近代色の子も二人ほど混っている。 

縞 木綿の大きなふろしきを背負って、チヨコンと立ち結びにしている子、兄か姉かのお古 らしい、巾の広いひもの大きなさげカバンの子もいる。何かの展覧会のように七十二人のさまざまな顔が私の目の前にならぶ。

「センセ、ボタンコリヤ」とフミノが私のスーツのボタンをおさえる。金芳が人をおしのけ てチョコンと私の前に出てきて、「センセ、オラキミガヨウタウエ」と報告すると、守正が目をパチパチさせて、「キントキニクマモマケルンダナエ、センセ」と、小さな手でス力ートにぶらさがる。

 教室にはいって名を呼んでみた。返事できない子が三人。落第した熊吉とフミコと吉蔵だ。 熊吉は去年一年、とにかく学校にはきたが、ほとんどロをきいたことがないという遅進児、フミコは、四・五歳かと思われる程度の発育不全の子、鼻の下がまっかだった。この二人は、いずれも、おばあさんに連れられてきた。七十二人のうちのたった二人、「ハイ」の返事さえ できない遅進児ながら、このおばあさんにとっては、大事な孫なのだ。どっちを見てもいじらしい。

 もう私の名を覚えて、「アイザワセンセイ」と手を引っぱる。ス力ートにぶらさがる。

 名を呼んだり、下駄箱や、便所を教えたりして、1時間終る。小さなオルガンを教室に運んで『日の丸のはた』をひいた。てんでに立って空をあおいで声をはり上げる。「テッポウカツイダヘイタイサン」と、うたっていると思うと、「キーミーガアヨオワー」と顔にすじをたてて声をはり上げている子もいる。

 こんどは私の傍に出てきて、盛んにオルガンをいじりたがる。カバンを背負い、ゴサボウシン(わらでっくった雨外套)をかかえて待っている子もいる。毛布をかぶってるのもいる。帰りたくなったのだろう。金芳が、「センセ、ハラガへッタハ(おなかがすいたょ)、オラングハナレ(ぼく帰るよ)サエナラ」と、前に出てきて、ピョコンとおじぎをして、さっさと出てゆく。

 帰り支度をしていたものが二十人近くもいた。「エサ、エグダクナタハ(家に帰りたくなったよ)」 と二•三人がいう。ランドセルを背負つてくるような二•三人を除いては、生きることに追われて、子どもたちの家庭教育などには、てんで頭がまわらない農民たちの家の子だ。「それでは、今日はこれでかえりましよう」と、せんべい三枚宛くれて帰した。(この学校では、入学当初三日位、おやつをくれるならわしだつた)

 声高く「アィザワセンセ、サヨ—ナラ」と何度も何度も私の顔を見ながら首をさげていっ た。昇降口はくもの子を散らしたようだ。フミヨは先祖何代か前から伝わったような赤色がけた、ボロボロの毛布を頭からスッポリかぶって、どんどん走っていった。イシエとフミノ は、三間ばかりいってから、くるつとこちらを向いて、「アィザワセンセ、サヨーナラ」と腰をかがめて、ピヨコンとおじぎをすると、またどんどん走つていつた。

 昇降口に暫らくポカンと立って、子どもたちのうしろ姿を見送り、すっかり姿が見えなく なると、教室にもどつた。

 出席簿とてらしあわせて、浮ぶままに子どもたちの印象を記録する。名前と、はなしかけ けてきたことばはわかるが、どうしても顔が浮んでこない子もある。ことばと顔が浮んできても、名がわからないのもある。ポカンとして考えていると、置いてきた長瀞の子の顔が浮 んでくる。今日はだれも泣かないで帰った。鼻血もださない。

 顔がはっきり浮んでくる子を数えたら、二十六人だった。

                 山田とき著『路ひとすじ』(東洋書館・1952年・P26~P28)より

 


「もの」や「こと」、「人」を意識させる    心のケアと自立のための日記指導-19

2016-05-04 10:03:07 | Weblog

                                心のケアと自立のための日記指導-19 

(四)「もの」や「こと」、「人」を意識させる

 

  まわりのものやこと、かかわった人のことをよく思いだして日記に書かせたいものです。

 日記は、「自己表現」であることから、自分のしたことをしたとおり、自分の思ったことや考えたことだけを書く子どもがいます。

 そのとき自分のしたことや見たこと、話したこと、思ったことや考えたことだけでなく、その出来事でいっしょになってかわった人、かかわってくれた人の行動や様子、かかわった「もの」や「こと」にも、ふり返って目を向ける子どもにしたいものです。

 日々の暮らしは、自分の行動や考えだけで展開しているものではありません。身の回りにあるものやこと、人などを意識するかしないかにかかわらず、おおきな影響をうけて暮らしています。毎日の生活に悩みや不安が無い場合には、それらが空気のように感じられて、制約を受けたり、影響を自覚したりすることはありません。

 けれども悩みや不安を感じるようになったとき、こころのケアが必要な状態になったときには、身の回りにあるものやこと、人、あるいは生活全体が、大きな圧力となっておそいかかっているように感じるのです。そして、この圧力を漠然と感じているだけでは、不安はつのるばかりです。

 この不安をとりのぞくには、とりまいている、まわりのものやことを一つひとつ、具体的にとらえて理解していくことが必要です。まわりのものやことあるいは人との関係などの理解が必要になってきます。まわりとの関係を追求することで、自分の今の状況がみえてくるのです。

 自分との関わりの深い身のまわりの「もの」や「こと」、また、それとどのようにかかわって生活をしてきたかをふりかえることで、現実の把握ができ、かかえている問題が見えてくるのです。

 まわりのものやことが見えてくると、悩みや危険から、本能的にさけようとします。また、受け入れにくいものやことを自覚することで、それを避けるようになります。その結果、すこしずつこころの不安が解消されていくのです。それだけでなく、具体的なものやことを理解したり自覚することとあわせて、環境が改善され、具体的にものやこととどのように関わっていけばよいかを学習したり、また、その支援をうけたときには、「自立」への道が開かれるのです。

 その出来事にいっしょにかかわった人や、関係の深かった「もの」や「こと」の様子や動きに目が向いているような日記を見つけて、それを取り上げます。

 

しゃぼんだま

                                 2ねん・まゆこ

 きょう、いもうととしゃぼんだまをしてあそびました。わたしが、まえにかっておいたしゃぼんだまのえきで、しゃぼんだまをつくりました。

 わたしは、そうっとふきました。しゃぼんだまは、フワーッととんでいきました。いもうとが、ほじょつきのじてん車にのりながらわろうとしていました。ほじょつきのじてん車にのりながら、上をむいて手をのばしながらわっていました。

 しゃぼんだまはたくさん出ました。小さいのや大きいのが出ました。いもうとが、

「きれいだね。」

といいました。

 おじいちゃんが、しゃぼんだまを見ながら、わらっていました。しゃぼんだかは、すきとおったいろだけどきれいでした。

 いもうとが、

「やりたい。」

といったので、やらしてあげました。いもうとは、

「フッ」

とやってしまうので、すこししか出ませんでした。いもうとは、

「すこししかでないよ。」

といいました。わたしは、

「そっとふくんだよ。」

といったら、

「そうか。」

といいました。そして、ふいてみました。いもうとが、そうっと、

「フー」

とやったら、大きいのや小さいのが出てきれいでした。いもうとは、おもしろくてなんかいもやっていました。いもうとは、

「おもしろいね。」

といってまたやってみました。わたしは、そんなにおもしろいのかなあとおもいました。

 

 この日記をとりあげれば、子どもたちは、「しゃぼんだまであそんでいる様子が目にうかんできます。」「それは、なぜか。」と聞くと、しゃぼんだまの飛んでいく様子や、妹の行動や話したことばから、よくわかると答えてくれます。

 そこで、あらためて、妹のことが書かれているところを確かめたあとで、妹のことを書いているとどんなことが分かるかを問いかけてみます。

 

・妹がしゃぼんだまを、とてもおもしろがっていることがわかる。

・補助つき自転車にのって、しゃぼんだまをおいかけている妹がとてもかわいい。

・妹は、まゆちゃんよりもおさないことがよくわかる。

・妹が「やりたい。」といったら、やらせてあげたり、やり方を教えたりしているので、やっぱりお姉さんらしい。

・「そんなにおもしろいのかなあ」で、終わっているけれど、「妹がとてもかわいかった」からこの日記を書いたのだと思います。

 

 こんな話し合いができるようになると、自分のことだけでなく、そこにいっしょにいた人やもの、ここではしゃぼんだまとのかかわりが、その人のそのときの行動をうながしたり、感情にはたらきかけをしていることに気づきはじめるのです。そして、まわりの人や、ものや、ことへの関心を高めていきながら、身の回りのひとやものごとの理解がすすみ、一つひとつのものやこと、人にたいする関係が見えてくるのです。見えてくることにより、どう対処すればよいかがわかってきて、「安心」することもできはじめるのです。