ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

三 「作文の授業」の原則ー2

2011-06-29 10:41:39 | Weblog
            子どものうちに育てておきたい心と表現力ー⑤

(二)「作文の授業」における10の原則

(1)「ねらい」があること
 文章表現の指導においては、「自己表現」を重視するという立場から、子どもの主体性や表現意欲を大切にすることは言うまでもありません。できれば課題を与えないで、子どもたちが書きたいことを自由に選んで、自分なりに組み立てを考えて記述する。そして、その子らしさが出ている文章が生まれることを期待します。
また、子どもたちが書いた作品を、紹介するときにも、まず書き手の子どもの気持ちを何よりも大切にします。みんなにも伝えたいという気持ちを大事にしながら授業を展開していくことになります。書き手の子どもの作品に「よりそって」読み合うことを基本にします。
  けれども、限られた時間のなかに設定されている「授業」であるからには、はっきりとそこに「めあて」を教師はもたなければなりません。とくに課題を与えずに、自由に書かせるときには、自由に書かせる理由がどこにあるのかを考えなくてはりません。
 行事作文の後に作文を書かせている方がまだ多くあるようですが、なぜ、行事が終わった後で、そのことを作文に書かせるのか、その「めあて」をはっきりさせなくてはならなりません。
そして、結果として生まれてくる「作品」を、「めあて」にそうかたちで、とりあげれば、行事作文といえども、意味をもってくることがあります。
 子どもの作品に「よりそって」読みあうことも、大事なことです。けれどもそこにも、なぜ、その子の作品をとりあげるのか、作品から何を学ばせたいのかを、はっきりしなければなりません。ただ、作品を読ませ、子どもにまかせて気づいたことを、認めあうだけでは、授業とはいえないとおもいます。限られた時間のなかで行われて授業は、意図的計画的な指導であり、「とりたてた指導」でなくてはならないのです。

(2)ねらいに応じたさまざまな授業かたちがあること
文章表現のねらいを、学級の実態に応じて立てることもあるだろうし、また、その学年で育てたい表現力をもとにめあてを立てて、授業を展開する場合もあります。題材の多面化を考えたとき、自由に題材を選ばせ、書いた作品を発表するなかで、取材の範囲を広げていく場合もあります。それとは違って、いくつか題材を紹介し、そのなかから選んで書くようにさせて、だんだんと「作文のタネ」として広げていく方法もあります。
 「自己表現」を大切にする文章表現指導であっても、課題を与えて作文を書くように指導する場合もあります。
のちにくわしくふれることになりますが、「ある日、あるときのことで、自然のなかで夢中になって遊んだことを、したことの順に、よく思い出して書こう」というような指導題目(単元目標)をたてて指導する場合もあります。
その場合、「ある日、あるときのこと」というのは、「対象へのかかわり方」(ここでは、なんどもくりかえしたことでなくあるときのこと、一回限りのことと限定をしている)で、次の、「自然のなかで夢中になって遊んだこと」というのは、今回は、学校生活、家庭生活などに題材を求めるのではなく、野や山や海や川で遊んだことを書こうと、ここでも条件を与えて、範囲をせばめていわけです。
 こうした、課題をあたえ、指導のポイントを明確にして、子どもたちが表現の過程にそって書くことで、「何を」「どんな組み立て」で、「どう書くか」を学ばせることで、文章表現力の基礎をみにつけさせようとしているからです。
また、前回は、題材の面では、課題を与えて書いたので、今回は、書きたい題材を自由に選んで書かせます。そして、生まれた作品を「鑑賞」するなかで、育てたい表現力を定着させる場合もあります。
また、必要に応じて、「書き出し」「会話」「構成の工夫」「描写」について、あるいは「原稿用紙の使い方」についてとりあげて、その点について指導することもあります。
 「自己表現「を重視する作文の指導であっても、限られた授業時間のなかで行われるのですから、そこにねらいがあり、ねらいに応じた様々な授業が展開されなくてはならないのです。ここに教師としての工夫と創造性がもとめられ、また、その授業は、子どもたちの自主性を尊重しながら行われなければならないのです。

次回は、つぎの項目を話します。

(3)授業は教師のはたらきかけを含めた子ども集団の学び合いである